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■ Cogito, ergo sum 480円と530円
例えば・・・皆さんが仮にコンビニやマックのバイトをしているとします。お客さんの購入金額は480円でした。その時、お客さんは500円玉1枚と10円玉3枚を置きました。
普通の人だったらレジで計算しなくてもお釣り50円玉1枚と判る。これにはお客の財布の中のジャラ銭を少なくする両替効果を期待している行為でもある。
けどな、
最近、この3枚の10円玉をこっち側に指でつっ返して500円玉でお釣り20円です、っていう超馬鹿が多いんだよ!!
そんなことを会社帰りに立ち寄ったクラブ・シャングリラ(仮名)のオヤジ(60オーバー)と埼玉から「テレビで映ったので来てみた」というオヤジも俺も初対面の建築マニアの男性(50オーバー)と語り合っていた。
こうなると、よく出てくる海外は?という話になる。海外にも行ったこともない奴に限ってパスタ喰うときのスプーンみたいに「そういうのは日本だけだよ」なんて言うが、むしろ、海外は欧州、米国、アジア、何処の国でも、例えば6ドルの買い物に10ドル出したら「1ドルある?」と逆に店員が聞いてくるケースが殆どなのよ!ちなみにパスタ喰うときにクルクルする時にスプーン使うのはヤポーンスキーだけだからな!
この480円と530円問題。ただのゆとり教育とかそういう問題じゃないのよ。老若男女関係ないのよ!!
これらの馬鹿現象の大きい原因は、
皆、考えないようになった
ということなの!
例えば、カメラ。昔は絞りがどうこう、照準がどうこう。望遠レンズつけたら撮影者が前後する(回してズーム機能はなかったの)という考えながら撮影しなければいけなかった。
今はデジカメのオートフォーカスでパシャだもの。 まず、人が考えなくなった(ま、俺もデジカメ使ってるけどさ)
便利な世の中の代償に日本人は「恥」を得てしまったようだ。
我思う、故に我あり=Cogito, ergo sum(コギト、エルゴ、スム) このCogitoは「考える」でもある。 我考える、故に我あり、
考えて生きなきゃ自分の存在さえ消えてしまうんですよ。
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2012年04月27日(金)
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