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■ 結婚相手、恋人、伴侶に経済力を求める理性を失くした女神たちへ
育ちの貧しい私の周りには皮肉にも(笑)何故か富裕層が多い。しかし、別に富裕をひけらかす人は一人も居ない。とてもいい人ばかり。中には苦労してその座に座する人も居る。
富裕な人間と、そうでない人間の大きな違いは何か?と経験上、富裕な方達を見て心から思う事は金の使い方です。
富裕な方の「消費」と、そうでない方の「消費」は、まるで違う意味の同音異義語だと思います。
富裕な方の「消費」は「投資」です。車や物を買うのにも後々、自分に還元される買い方をしています。例えば車や不動産やブランド物の物品は後々、売れば金銭に変わります。また人付き合いで金を使う際も、失った金銭と引き換えに「人脈」を得ます。人脈が、また新たなビジネスや投機先に変わるわけです。
しかし、そうでない層の「消費」は完全なる「消費」です。後々に金銭に変えられないゴミになるものを買う=消費なのだ。貧しいのに無理をして高級車を買っても維持費、ランニングコスト、自動車税、家計を圧迫するストレスを考えると結局、車はボロボロになり値落ちしてプラスにはなりません。ブランド物もそう。所持数が少なく頻繁に使えばボロボロになって売り物になりません。財産にならないのです。ゴミなんです。
一時期、ベストセラーになった「金持ち父さん貧乏父さん」の本やキャッシュフローゲーム(グアムでは未だ店頭で平積み扱いでしたね)でも貧乏路線のコースで借金をし、不動産などの資産を買い、負債を返済し、今度はそれらの資産を有効活用して「不労取得(パッシブ・インカム)」を得る金持ち路線(ゲーム上では High way 高速道路)のコースに乗り、自分の稼ぐ給与より不労取得の額が超えた場合などの勝利条件を目指します。この本とゲームで訴えていることは単なる「拝金主義」でなく精神的に「自由」な心を求めることに最終目標があるのです。
しかし、富裕層でない方が、これらを分かっていてもなかなか出来ることではありません。昔と違って働けばそれ相応のサラリーを得る時代ではありません。今の日本は厳しいです。だけど、前述の「金持ち父さん貧乏父さん」の生まれた米国はレーガン政権の1980年も前からリストラや収入格差の生まれた時代背景から生まれています。
正直言って我が家は御世辞にも富裕層ではありません。但し、それなりに富裕層の自由な「意識」の真似をしていますし、知らぬうちに昔からそう選択肢を選んでいた。私は子供の頃から「貧乏人の銭失い」を痛感しています。なので、奥さんが高い買い物で悩んでいると「迷わず買え」と促します。奥さん曰く「家計を知っている分」と言いますが、パパは逆に家計を知らないので「思い残すことなく、その一瞬に買いたいものを買いなさい」と毎回言っている。時々、我慢する奥さんには申し訳ないと常々思っているが、精神的充足を金で買えるなんて素晴らしい方法であり、その対象の個人の精神的に値段以上の買い物をしたことになるのだ(その代わり、俺のお小遣いが減るんですが(笑))
話は脱線しますが、私自身の人生も偶然に、それに倣ったものだった。文学書や参考書など定価で買えないので子供の頃から古本屋に通って参考書以外にも興味のある学術書や研究所を購入し、時には「こんな高価な本がこんなに安い」と思い、購入をして十数年後、それらの本がとてつもない利益を出してくれたこともある。古本屋通いの趣味はビジネスでなく、あくまでも趣味だったが基本的には「値段以上の買い物をするのが古本屋巡りの極意」と子供の頃から思っていた。
今まで他人を見てて、富裕層になりたい、憧れている人は人生統計上、富裕層になれない。金銭的に富裕になっても成り上がりは「自由」になれず、金持ちになっても金に追われるからだ。無理をして負債を抱えて暮らしが良くなっても結局のところ、キャッシュフロー的に見れば意味は無い。
中には悪い金で一時的に富裕になる者も居るだろう。けれど、悪い金とは、あぶく銭。結局は一時的なものでしかあり得ない。
そして、悪は必ず続かない。
ただ、懐が貧しいからといって心まで貧しくなってはいけない。そういう人間は生まれ変わっても貧しさという呪縛から解放されないと思う。
私は娘さんには貧しい生活をさせたくない。絶対にさせたくない。セレブ並みの贅沢ではないが私が子供の頃、苦しんだ「金」の話を聞かせないように「金」のことなんか考えない純粋な子供になってほしい。そして、心が富裕な女性に育ってほしい。まともな男というのは心が富裕な女性を一般的に求めるものであるから。
2011年05月31日(火)
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