The Green Hills of Earth
2009年10月22日(木) |
どうしたら伝わるのか ./ 都会なのに… |
言われたら「そんなの当然」と分かりきっているのですけれど、なかなか実践できないことなんです…
先日、何かのテレビ番組で、1人の女性芸人と1人の女性モデル(?)が同居生活をして、その中で使える電気を減らしていくことにより、電気のありがたさを実感すると言うような企画がありました。自動車を運転しながらだったので、映像を見るでもなく、音だけを聞いていたのですが、日の入りと共に部屋は暗くなり、ろうそくの照明はあるとしても殆ど真っ暗で、そんな中でモデルさんが洗濯をしようと洗い桶と洗濯板を買ってきたのですが、大きすぎて風呂に入らないし使い方も分からないしと廊下に放り出していたところに芸人が帰ってきて、ずっぽり足を桶の水の中につけてしまって激怒、更にその水を捨てようとしたら、芸人は風呂場に捨てようとしたのに、モデルは逆方向のシンクに捨てようとして桶が傾き、水がこぼれるにいたって芸人が大激怒という場面が展開されました。
1人は「こんなに大量の水は風呂場に流すのが当然」と思い込み、1人は「風呂場に入らなかったんだから、シンクに流すのが当然」と思い込んだ結果の惨事だったわけです。
こんな話はここに限らずあちこちにあります。人が2人以上集まればこんなことはしょっちゅうですね。
私の仕事環境でも当然のようにあります。仕事柄相手は博士号を持つような人たちばかりで、自分の仕事のことを話させると、私にしてみれば宇宙人の言葉のような専門用語が延々とでてきて、「こうなる訳ですよ。分かりますか?」と言われるんですが、当然ながら「わかりません」と答えるしかないんですよね。で、逆にコンピュータのことになれば立場は逆で、私がいくら噛み砕いて教えたつもりでも、「わかった、これはこういうことなんだね」と言う説明はちょっと違っていたりして、それでも大きく間違っていなければ「これでいいや」と通してしまうこともしょっちゅうです。
そんな専門職の話ではなくても、お互いの話の中で、話の前提となる土台がきちんと説明をされていなかったために、話が食い違い、ひどいときには自分は「Aさん」について話しをしていたのに、聞き手は「Bさん」の話と思って聞いていたなんて事もあるわけです。
家の設計段階で、何度も齟齬の無いようにと1つのことに対して、3回表現を変えて話をして見たりもしたのですが、それでも齟齬が生じた場所を見ながら、なぜ伝わらないのだろうとしみじみ考えさせられました。
自分の目から見れば、「こちらがあれだけ表現を変えてしてきしたのに、勝手な思い込みを前提として結局こちらの話を聞いていなかったのではないか」と言いたくなりますが、立場を変えて見れば、「業界の常識から考えたら考えられないような事を言ってきた。よもやそんな話だとは思えないから(それが常識と言うものだ)、そんな前提は思いもよらなかった」と思ったのかもしれません。
当然ながら、私は私自身ですから、私の目で見た気持ちが優先されてしまう訳ですけれど、でも、そういう結果を踏まえて、結局「表現をあれこれ変えて、『誰にでも分かる』よう説明をしたつもりだったけど、実はそれは独りよがりで、相手の常識を覆すまでにはいたっていなかったのだな」と反省をすべき点も分かってきました。
1言えば100分かってくれるのか、それとも1言ったら1分かるのか、それとも100説明してようやく1分かってくれるのか、それは相手のレベルによって違います。また同じ人でもつぼにはまる話かどうかでそのレベルも変わってくるでしょう。
100言って1だと悲しくなってしまいますけれど、せめて1言ったことを1理解してもらえるよう、誤解の無い説明がきちんとできるよう、独りよがりにならないよう話し方に気をつけたいと思うのですが、これはなかなか難しいですね。
とり止めもない話ですが、今回の一連の作業でそんなことを強く感じた次第です。
引越し直前にも、ルーターの類を買うために秋葉原へ行きましたが、車で10分程度でつきました。東京駅も同じくらい。列車でなら30分位でしょうか。
有楽町や池袋なら10分〜15分でたどり着けるような立地に住んでいるのですが、実は引っ越してきてから、先の秋葉原に行った事を除くと、いわゆる都会の繁華街には一切足を運んでいません。ええ、自動車で移動する時の通過点としてなら通りかかっては居ますけれど、そこに遊びに行くとか用事を足しに行くって一切していないんです。
例えば池袋の無印良品(先日新装オープンしたらしい)などにベッドや収納家具を見に行こうとか、おいしいものを食べに行こうとか、映画を見に行こうとか、理由を見つける気になればいくらでもあるはずなんですけれど、やはりこういう時の自分をみると「私は出不精だったんだなぁ」と強く実感しますねぇ。人混みの中に行くくらいなら部屋で寝てる方がマシだわ。
とは言いつつ、時計を壁(石膏ボード)に取付けるためのフックを買うとか、ベッドを買うとか、冷蔵庫を物色するというのは、結構早く実現したい用事なので、そろそろ重い腰を上げざるを得ないかなと思って居るのですが、果たして実現するんでしょうかねぇ。
星新一さんのショートショート小説の中に、指一本で何でもできる社会が描かれていましたが、結構今ってそんな社会になっていますよね。
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