The Green Hills of Earth
集団とは怖いもので、例えば渋滞中の高速道路のサービスエリアなどでは、女性用トイレが満杯で長蛇の列になっているからと言う理由で、男性用トイレに入ってくる女性がいます。多分1人ではそんな行動はできないでしょうけれど、集団だから恥をかき捨てられる一種のヒステリー状態になっているのだと思われます。
さて、最近あちこちでよしもとばななさんのエッセイに書かれた事が話題になっています。
私は、それについてJackさんの「Sojin Project」2009年8月16日「よしもとばなな」を拝見して知り、他所でいくつかの意見を拝見させていただいた後、2009年8月18日「入れ墨」を経由してよしもとばななさんの日記から、過去の温泉銭湯でのよしもとばななさんの入れ墨によるトラブルも拝見した次第。
今回話題になっているワインの話しでは、「それが良いことではないと承知している」と言いつつ、これは特別な意味のあるワインだからという理由で頼んでいるのに、それを断った店長の態度が理解できない程不愉快だと騒いで居られますし、入れ墨の話しでも「入れ墨お断り」と明言しているお店に対して、「東京からわざわざ来た、やくざでもなんでもない人が、小さな入れ墨をちゃんと隠すと言っているのに裸で追い出すのが客商売ですか?」と言って逆ギレされている訳です。
そのワインにどんな理由があるかは、そのワインを持ってきた人にだけ意味がある訳ですし、それは店の人を含む他の人にはあずかり知らぬ事です。またそれにどんな理由があろうと、それを許してしまったら、「あの人達には許されるのに、なんで俺たちは駄目なの?」と例外を作る事になります。例えその時に他の客が居なかったとしても、そういう酒盛りをしている時に他の客が入ってきたら、それは好ましくない前例を作ることになります。だから、今の状況が許されるような状況だから例外を作るべきだと要求をする方がおかしいですし、そういう例外ができるとしたら、それはあくまでも店側の好意によるものですから、その好意を強要する事はどんな理由であれ、どんな状況であれ正当化できるものではありません。
この時も、その話を店長にうまく通していれば別の対応があったかも知れませんが、そのやり方を間違えた結果として「お断り」されたのですから、それに文句をたれることは逆恨み以外の何物でもありませんね。
また、入れ墨に関してですが、私も大衆浴場で時々入れ墨をした人を見かけます。
世間一般の常識として、入れ墨というのは真っ当な人のやるものではありません。「これは入れ墨ではなくタトゥーだ」等という戯言も言い訳にもなりません。入れ墨を入れた本人が「自分のは他人とは違う」と思っているとしても、それは自分の思い込みであり、全く関係のない人はそれを見ただけで不快に思うでしょう。そして、他人は、その人間が実は心優しい人かどうか、どんな職業の人なのかなど、知る術もありませんし、知ろうとも思いません。ただ、その人間がヤクザかどうかに関わらず、入れ墨をした人が居ると言うだけで不愉快になり、一緒の風呂に入りたいとは思わないでしょう。
もう一度書きますが、それはどんな職業の人かとか入れ墨の大きさがどれ位かなどとは全く関係のない話です。入れ墨をしているかどうかそれだけが判断基準となるのです。
今回の事で言えば、その文句をたれている女性がよしもとばななさんだとは誰も気付かないでしょうし、東京から来たなんてことは誰にとっても「そんな事知るか」ってなものでしょう。ヤクザかどうかもどうでも良いことです。入れ墨を入れた人とは一緒にいたくない。入ってほしくない。ただそれだけです。
「入れ墨はお断りですから、お引き取りください」というのはとても理にかなった事であり、逆に公衆浴場で入れ墨を入れた人が見て見ぬふりをされて堂々と闊歩する様は、他の客からは見ていて不愉快とことです。ですから、この店の対応に「よくやった」「正しい勇気ある行動だ」とは思いこそすれども、よしもとばななさんの意見に例えミミズのつま先ほども同意できる部分は見つけられません。
これらの言い訳(よしもとばななさんの言い分)は、一部の阿呆な愛犬家が「私の犬は家族同様」「他の人よりうちのワンちゃんが大事」「宅のワンちゃんは人を噛みません」とほざいているのと同じです。自分は真っ当なことを筋道たてて言って居るつもりかもしれませんが、全く正当性はなく、それが通じるのは自分とその仲間だけなのです。
これら一見傲慢に思える所業は、どうしておこったのでしょう。私は、集団の中にいる事によるヒステリーにその答えがあるように思えます。
「友人の送別会で、友人の特別なワインを飲みたい」「友人と一緒に風呂に入りたい」そういう集団での行動を大事に思うあまり、一般常識を考える判断力がなくなり、自分たちの理(わがまま)を理解しないものは悪なんだと言う考えに凝り固まり信じ込んでしまったと言う事ではないのでしょうか。つまり、女子トイレが満員だからと男子トイレに入ってくる人達の心境になってしまったのでしょう。
どちらの件でも、私にはよしもとばななさんの行為は正しいとは思えませんし、よしもとばななさんが語る理由も言い訳にすらなっていないと思います。そして、そこで起こってしまったことは仕方ないとするにしても、その後でその傲慢な思い違いを文章にしてしまう事はある意味「信じられない」出来事です。
ヒステリーの状態で常軌を逸しているのなら言い訳もたちますが、文章を発表する前に推敲もするでしょうし、校正だってあるでしょう。その時期になってもヒステリーから抜け出せなかったのか、それともこういう怒りはずっと持続しておける特殊回路を持った方なのか、はたまた、実は本当に常識のない人なのか、それは私には判断がつきかねます。それにしてもワインの話は本として出版される時、出版社の人も含め校正をしたはずです。その時にこれはまずいんじゃないのと誰も注意はできなかったのでしょうかねぇ…
取りあえず、wたしに取っ手の収穫は、私はその昔話題になった本を含めいくつかを読んで、「この人はおかしい。私にはあわない」と読むことをやめて居た訳で、こういう話を見て「こういうところに違和感があったのかも知れない」と何となく納得できたことでしょう。
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