The Green Hills of Earth
2008年09月05日(金) |
愚かな親という前に… |
大分での教員汚職事件に関与した浅利元校長が、公判が始まった4日、弁護士を通じて手記を公表したそうです。
その中で、「子供の力を信じてやれなかった愚かな母親の軽率な行動だった」と記しているそうです。
確かに、先日数億円をバカ息子のためにと横領し続けたバカ親と同じで、自制の効かない、善悪の区別もつかない人間として失格の状態だったからここで裁かれるわけですけれど、asahi.comの記事を見る限り、反省の色は見られないというのが率直な感想。
自分の愚かな行動が自分の娘の人生を狂わせた…なんてどうでもいいんです。愚かな親を持った身の不幸を呪えばいいんです。それより問題はその愚かな親のこうで王の結果、本来なら合格するはずだった人たちの人生を完全に狂わせたことへの反省はどこにあるのでしょう。
福田さんにあやかってか、自分のことは客観的に見て「本年度は20人も不整合各社がいるのは、どんな力が働いているのか。自分も知りたい」というに至ってはねぇ…
「愚かな親」と言う前に「愚かな人間」として反省してほしいものです。でも、自覚はないのでしょうね。
一般家庭に育った人は、コネがなければ不正のしようがありません。ところが自分がたまたまそれを操作できる地位の人がそばにいるから、ついフラフラとというのは、本人も悪いのですが、その地位を公私混同する方がもっと悪い。 役所での手続き割り込みや不正受給、警察での違反切符揉み消しなど、実例をあげればきりがりません。 その地位についたのは公私を混同して良い免罪符ではなく、例えば、自分の親しい友人に不利になると分かっていてもそれを口に出すことができない、言わば会社の人事と一緒です。その外に漏らさず、操作せずを貫けることが、その地位につく最低限度の資格なのではないでしょうか。
どうして、そんなに多くの不正が起きたか。答えは簡単で、教職やその関係者に「公私混同」という概念がなく、不正は「ちょっとしたお願い」とすり替えられているからです。つまり、モラルが欠落しているんです。
私は、教職は昔のような聖職であって良いと思っています。それは子供への体罰を認めるべきだという意見に繋がります。ただ、そうするからには、教職につく人への、意識改革または、適正が厳しく審査されなければならないとも思っています。
今の教師にモラルを持つ人がどれだけいるのでしょう。本当に子供たちをまかせられるのでしょうか…
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