The Green Hills of Earth
2008年08月20日(水) |
大野病院…地裁で無罪判決 |
福島県の大野病院事件(個人的に「事件」ではないと思っていますが)について、福島地裁は「無罪」の判決を言い渡しました。
要は、癒着した胎盤を剥がすか、子宮を切除するかの判断が必要な状況だったのですが、胎盤を無理に剥がせば大量出血に繋がることもわかっていたけれど、その後の子宮収縮で止血されることを期待したのが今回のあらまし。そして、検察側は一部の意見としてその場合はすぐに子宮摘出に切り替えるべきと言う意見があることを「医学界の常識」として、その「常識」に従わなかった医師は殺人を犯したも同然だから控訴されて然るべきと言う見解で控訴をしました。逆に弁護側は「子宮摘出に切り替える方法もあるが、それが常識ではない」事を理由に無罪を主張しました。
結果として、司法は「胎盤剥離で大量出血を伴った時、子宮摘出に切り替えることは常識ではなく、いくつもある手法の一つに過ぎない」と言うことから、これは医療過誤では「ありえない」と結論付けたということ。
全くもってその通りだと思います。
検察やこの女性の親を侮蔑をこめて「クレーマー」とここには記させていただきますが、このようなクレーマーは、もしその場で子宮摘出をしていたとしたら「ただ出産しに来ただけなのに、2度と子供が産めない体になってしまった」とかそんな事で医師を訴えていたことでしょう。この件については何度かここでも書きましたが、患者及びその親族は結果論でしか物事を判断できません。そして結果論「たられば」は屁理屈でしかないのです。
医師は、その都度自分に出来る最上の判断で、常に変化し続ける状況に対応していかなければなりません。確かにその時の判断が後から考えたら最上、最良の手法ではなかったかもしれませんが、それは責められるべきではないでしょう。 そして、「このような重大な結果にいたる事を、家族または本人の承諾なしにやった」などとほざく阿呆がいますが、「生きるか死ぬか」の時に、全くの素人にもわかるように噛み砕いて説明をしていては、どれだけの助かる命が見捨てられることになるでしょう。「自分の命」「自分の家族の命」が大切なのはわかります。が、それを素人が操縦しようと言うのは間違いです。医者に任せる「命を預ける」と言うのは、まずは信頼をすることから始まるのではないでしょうか。
都会なら「この医者はヤブ」と思ったら別の病院に行けばいい。それこそ大学病院だって数十分の移動距離の中にいくつもあるような状況ですが、地方では選ぶ余裕が無いどころか医者がいない状況もあるのも事実。ですから、「その医者がヤブとわかっていて信頼できるか」と言うような意見もあるかもしれません。しかしそれでもあえて言います。信頼できないなら医者には掛からないのがいいでしょう。全ての人が「カリスマ」という事はありえません。その時、そこで手に入るものが最良のもの(例え一つしかなくても)なら、それを買うか買わないかしか選択肢は無いのでしょうから。ええ、納得できないならそれこそ、都会の病院に転院するでも手段はいくらでもあります。そうするかどうかも含め、医者を選ぶ権利も自由も全て患者側にあるのです。その自由を経て医者に罹ったなら、その医者を信頼するのが患者及びその家族の務めだという事を忘れてはなりません。
今回の件は最初から医療過誤でも事件でもなく、更に言えば事故ですらないのは明らかだと私は思っています。そしてこれが万が一有罪となるなら、日本の医療は完全に崩壊してしまうとも思ってきましたし、そう書いて来たつもりです。 まだ地方裁判所の判決という事で、今後どこまで行くのかわかりませんが、できるならここで検察側は自分たちの愚かさを見直し、控訴はせず、逆に別の検事が「控訴過誤」でも何でもいいですから、このような愚かな控訴を安直にした検事及び検察を訴える位の気概を見せてもらいたいものです。また、この件については被告医師は、無罪が確定した時点で検察を訴えるべきだと強く思う次第です。
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