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2006年07月02日(日) 今日のつらつら / ピザ

未明からワールドカップの試合を堪能していました。

ワールドカップが始まる前は取らぬ狸の何とやらを発揮して、どうやって日本が予選を突破するかと言う記事が、プロアマ問わずあちこちを埋め尽くしていました。その中には「本当は無理だと思っているけど、応援する時にそんな弱気ではいけない」と無理をしていた人もいたとは思います。しかし、予選が終わって、まるでそのとき初めて判ったかのように「あれが日本の実力と理解して、新たなスタートを切るべきだ」なんて論調を書いている人がいることに私はびっくりしました。それも素人が自分のブログなどに書くならいざ知らず、公共の紙面などを使って、お金を取って書いたであろう記事にそんなことが書いてあるとは…

何度も何度も書きますけれど、日本のレベルは猿回しの猿が球を蹴っている程度です。どこに飛ぶか判らないキックやヘディング。どこに飛んでいくかわからないトラップ。どこに味方がいるかを見ることのできない視野の狭さ…兎に角ストレスの無い状態で如何に曲芸ができたとしても、それは実践には何の役にも立ちません。どんなにすごいシュートでも枠に行かなければ得点にはなりません。どんなに中盤でがんばっても誰もシュートに行かなければ点になりません。そんなことは予選の始まる遥か前から判っていたことではないですか。素人の私がわかっているのですから、熱烈なファンを名乗るサポータの人や、サッカー関係者、そしてマスコミの人たちはもっとわかっていた筈です。なぜ、それを今頃発見した新たな事実のように言うのでしょう。バイアスロンと言う競技では、ライフルで的を全部命中させられなければペナルティとして数百m余計に走らなければなりません。いくらスキーで走るのが速くても、射撃が下手だと余計なペナルティを背負うのです。他の競技だって一流とする選手は無駄な動きが無く、必要最小限の動作で最大の力を伝えるからこそアスリートとして通用しているのです。機能美と言うのはそういう無駄の無いものに宿ります。翻って日本のサッカーはトラップしてこぼれたボールを拾いに走る無駄、折角前に向かって走っているフォワードの後ろに球を蹴って、球を取りに戻らなければならない無駄、どこを見ても無駄無駄無駄だらけで、こんな無駄だらけで強かったら不思議だよと誰にだってわかるんじゃないですかね。何を今更ですよ。私のページでさえ何年も前からそう書いているのに。

兎に角、そういう美しくない無駄だらけの見る価値もない日本のような屑チームが消え、一流どころの見ごたえのある試合、それを楽しみました。が、やはり美しくないことがあるんですよね。今回からひじ内や、故意に時間を遅延させる好意などはイエローカードの対象となったそうですが、そのイエローカードが多すぎて試合が中断しすぎるのがつまらない。そして選手がファールを誘うようにわざと転ぶところが見苦しい。確かにサッカーは騙しあいの試合でもあるのでしょうけれど、世界一を競う試合なのですから、もっと技を競って欲しいと思うのはアマチュアの感傷で、あれこそプロの仕事と言うものなのでしょうかねぇ。兎に角、この2日間の試合はとっても見ごたえがありました。

ブラジル対フランス戦を見る前に眠ってしまいました。朝起きてすぐ、ニュースなどで結果を知る前に録画した試合を再生して楽しみました。これからの試合は結果が咲きにわかってしまったら面白くありませんからね。
それを見終わったら、食料の買出しです。
お店に行く前になって、買おうと思っていた特価の商品は「先着100名」となっていたことを知り、諦め気味で開店2時間後のお店に行ったのですが、なぜか不人気だったようでまだ商品が余っていました。喜んで確保。実はこの地域に住んで何年にもなるのですけれど、そしてこのお店がそこにある事は知っていたのですけれど、今までなぜか縁が無く、今日はじめてそのお店に行ってみたのですが、「はぁ〜」とため息が出るくらい後悔しています。そのお店、精肉と鮮魚がすごく充実していて、特にこちらでは珍しいと思っていた赤いかもおいています。私の田舎の懐かしい魚屋のにおいがしました。喜んで鯖と赤いかを買ってきました。
私が今まで利用していた数点のスーパーなどでは、どうしても魚を買う気にならなかったのです。私の田舎は米の国でもあり、海産物の国でもあるので、どうしても魚は鮮度が気になります。そして、こちらで手に入る魚は、私にはどうしても、よほどのことが無ければ食べたいとは思わないものなのです。これは私と同じように海産国から上京してきたような人には頷いていただけると思いますが如何でしょう。その私をして、ここの魚なら食べられると思えたのですから、魚食いの日本人(美味しんぼ調)である私にはこんなにうれしい事はない(アムロ調)のです。

午後は友人が訪ねてきて、一緒に食事をして、それからちょっと友人の用事でお店めぐりです。本当は電話機を探していたのですが、途中で友人が座椅子に目を奪われそれを購入。それを私の家で組み立てたりしてあっという間に夜になってしまいました。そしてふと気付いたら「あ、今日はここを更新してないでないの」と慌てたのが今(20:30頃)と言う訳です。今日はそんな感じで過ごしていたので、これからニュースを見たりしますけれど、更新は明日の朝と言う事になると思います。


ピザ

私が良く買い物をする園芸の店のすぐ斜め向かいに、いつの頃かピザ屋…と言うか、多分イタリア飯屋もどきの店ができました。多分1年位前の話だったと思います。私の田舎は本当に何も自慢をするものがないのが自慢といえるくらいの田舎だったのですが、なぜかその超ウルトラど田舎には、今をしても五指の指に入ると思われる美味しいピザの店とお好み焼きの店がありました。たまたま私が初めてそのピザのお店に入った時、そのお店でバイトをしていたのは私の兄の友達でした。そしてその後を引き継いでバイトに入ったのは、私の友人だったのです。ですから、私の高校時代はその店のピザと共にあったといっても過言ではありません。また、私がバイトの帰りに入り浸っていたお店は、焼きそばとお好み焼きのお店で、とても安いのに味は本当最高と言うお店で、その後仕事で全国を駆け回るようになった私ですが、本場といわれる大阪へ行っても、それより美味しいと思うお好み焼きに出会うことはめったにありませんでした。まぁ、その私の田舎のお店も修業は大阪でしたそうですがね。
味と言うものはある程度原体験が重要です。原体験で美味しくないと思ってしまえば、どんな有名なお店に連れて行ったところで、その素材は食べられないでしょうし、その原体験で体験した味が美味しいと思ってしまえば、どんな高級素材を出しても、どんな有名なシェフが料理をしても、どんなに「これが本物の味だ」とわめいても、その人にとっては「絶対にこれより昔食べたあの味が美味しかった」「これはニセモノだ」となってしまう訳です。そしてそれはある程度正解だと思います。ですから、進学や就職、結婚などで途中で生活環境が変わってしまった場合、今の味に慣れないことは多々あることですね。私も田舎からこっちに来て、肴と野菜と醤油をこちらのもので済ますことができるようになるまでかなり長い期間が掛かりました。いや、未だできていないといっても良いかもしれません。

さて、そんな私が東京に上京したての頃に食べたピザというと、喫茶店が恥ずかしげも無くだしてくる明治などの冷凍ピザと言う状況で、東京には美味しいピザはないのだと諦めていたのです。そんな時、宅配ピザ屋と言うのが出回り始めたので、何度か食べてみたのですけれど、まず、美味しいピザに出会うことはありませんでした。まず、作る人がバイトでへたくそなのでしょう。手に生地がくっつかないように打ち粉をまぶしすぎていて粉っぽいです。パンに例えるならマフィンみたいな感じです。粉っぽくてピザなんていえる代物じゃありません。何度生地を見ただけでこれは食べられないと突っ返したことか。それに我慢できたとしても、私に我慢できないのは、これが日本人の特徴なんでしょうね。味の調和なんて考えず、兎に角豪華に盛り合わせておけばそれで良いやと言う安易な発想。テレビの食い物対決の番組などでも「究極の素材と究極の素材を合わせたのですから、まずいはずがありません」なんて愚かな戯言を平気で口にしています。アホか。物事にはバランスと言うものがあるんじゃ。前面に押し出て活躍する素材もあれば、裏方でひっそり活躍する素材もある。究極の食材だから「うまいに決まっている」なんてことは戯言でしかないんじゃ。ってなもんです。ピザでも、本当に美味しいのはプレーン…トッピングはチーズだけと言うシンプルなもの。それが生地の出来と使っているソースとチーズがよければ最高の味を引き出すのです。そこにトッピングするのは、例えばオニオンだけとか、コーンだけとか、シンプルな中に素材のよさが出てくるものです。あれもこれも入れて美味しいものもありますが、殆どはただカタログスペックが豪華なだけの出来損ない。私にはそう思えます。ラーメンにカニにイクラにうにあわびをトッピングして美味しいはずがありませんわ。そういうのと一緒です。そして、値段が高すぎです。結局、私はつい最近までそういうピザしか知らなかったので、美味しいピザを食べることは諦めていました。しかし、最近になって漸くサイゼリアとかジョリー・パスタと言うファミレスで、シンプルな美味しいピザが食べられると判って少し幸せな気分を味わっていたのです。(前置きがとても長くなってしまいましたが)ですから、このお店の開店当初、もしこのお店がそのようなおいしいピザを食べさせてくれる店だったらうれしいなと期待の眼で見にいったのですが、残念ながら値段は高いし、ごちゃごちゃトッピングしているのばかりだしと言うことで、結局今日まで一度もそのお店に入る機会を持つことはしませんでした。

今日、その園芸屋さんに立ち寄った帰り、そのお店を見るとお昼なのにお店は閉まったままでした。そう、つぶれてしまったようです。
そんな予感はしていたんですよ。だってね、宅配ピザが高いのは、ピザを家まで配達してくれるからなのでしょうか。発足当初は「30分以内に配達する。できなかったら代金はいただきません」と言う約束があって、そのリスクがあったからこそ、値段が高めに設定されていたと納得もできるのですけれど、今はその30分と言うリミットが無くなっているのに、ピザの料金は据え置きでべらぼうに高いという事態に陥っているような気がします。私があのピザに値段をつけるとしたら今の値段から1000円を引いたくらいが良いところだと思います。しかし、最初に高値でスタートしたことを皆が受け入れたために、その値段設定が妥当とプリンティングされているんじゃないでしょうかね。
では、店で食べるピザはどうなのでしょう。私は店でピザ「ごとき」にも1000円以上支払う気がしません(まぁ店の立地などで場所代の分の加算は必要な場合もあるでしょうけれど)。ピザとは手軽に焼いて安くうまいものでなければならないのです。そう、大阪で言うお好み焼きやねぎ焼きのようなものです。オプションとして贅沢なトッピングで値段の高いものがあるのは構いませんが、その基本は4〜500円程度の安いものであるべきなのです。しかし、ピザはクリスピータイプと呼ばれる薄いものならまだしも、厚手のものであれば焼くにはそれなりの時間が掛かりますし、その生地を伸ばすにもある程度の熟練が要ります。ですから店の立場から見たら、ピザだってそれなりの料金を取らなければ採算が合わないということになるのです。ですからピザ専門店を張れる店はそれで良いのですが、そこまでピザにこだわりがないならば、ピザは副食でスパなどを前面に押し出さざるを得ないだろうと私は思うのです。しかし、残念ながらそのお店はピザがメインでした。ですからこのお店はその内収支が合わなくなるだろうなと思っていたのですが、予想より早くその日が来てしまったようです。
実は先週も、この友人と飯を食べにでたのですが、そのときたまたまその店の前を通りかかっていて、この店にするか?と話して結局はやめていたのです。今日店が閉まっているのを見つけ、「先週、来ておけばよかったかな?」「いや、つぶれる運命の店に入らなかっただけましと言うことだろう」なんて会話になったのでした。

ピザは商売として成り立たせるのは難しいですね。そして、宅配ピザはうまいごまかしをしたものだなぁと改めて感心した次第。(2006年7月4日ちょっと加筆修正)


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