The Green Hills of Earth
京都市中心部で伝統的な町並みなど景観の保全や再生を目指し、京都市は市内の市街化区域全域で建築物の高さ制限を見直して、2007年度中に殆どの地域で引き下げる事にしました。
日本スケート連盟フィギュア委員会の強化部長ら一部幹部が、長野県の野辺山スケートリンクで2002年以降開催しているアイスショーの利益を連盟に計上せず、て元に保管していた事が判明しました。 この人達って、結局は先日「ショートトラックの合宿を自分が経営するリンクでやらせていた」とか、「国際イベントの記念品を自分の経営する会社を経由して仕入れたり」していた人達ですよね。私の所でスケート連盟のニュースを描くのは3度目で、「スケート連盟って腐って居るなぁ」と感じるのですが、ニュースを確かめると、結局は本当にごく少数の人が行った私腹を肥やす行為が全体のイメージを悪くしています。 今回の件も、本来なら余剰金は直ぐに連盟に寄付する規則になっているのに、それを4年もの間「個人が保管していた」となっていますが、それって「着服していたんだけど、ばれたので今頃慌てて報告してお金を払った」というだけの話ですよね。夕方のテレビニュース番組などで良く万引きを捕まえるような特集をしていますが、本当に初犯と思える人は諭して放免するという話もたまにはありますが、基本的には「出来心です」「もうやりません」「そんなつもりはなかったんです」と言っても警察や家族に連絡されてしまいます。ましてや、ここに登場する人達は国を代表してスケート選手を管理する協会の幹部という人達です。「常識に欠けていました」では済まないのではないでしょうか。こんな幼稚な言い訳を通すことなく、断固とした対応をすべきではないでしょうか。
奥さん、知ってました? お昼の「笑っていいとも」におスギとピーコさんって両方ともレギュラー出演して居るんですってよ。一緒に出るんじゃなくて、曜日毎に1人ずつ出ているものだから、私ってば片方だけだとずーっと信じていました。 ええ、オチはありません。ただそれだけ。皆さんはきちんと理解してみて居るんですよね?
先日から実家に帰っているのは、今までJ'sWordと言うDTPソフトが便利だったため、ず〜っとNECの「キューハチ」でMS-DOS環境を使っていた父親が、もうそのパソコンも長い間使っていていつ壊れるか判らない事もあり、そろそろWindowsパソコンの使い方も覚えたいと言い始めた事にあります。WinodowsというものがGUI(Graphical-User-Interface:グラフィカル・ユーザ・インターフェース)というアイコンなどをクリックする事で命令を伝えるのに対し、MS-DOSはCUI(Character-User-Interface:キャラクタ・ユーザ・インターフェース)といって、知らない人が見たらなにやら訳のわからない「呪文」を打ち込む事でパソコンに命令を出します。知らない人には取っ付きにくいものかもしれませんが、命令はその呪文だけなので、呪文を受け入れてしまえば誤解が生じる余地はあまりありません。しかし… 何度も実家に帰って、更に父親からの電話に悩まされるのは、まぁ父が高齢で物覚えが悪くなってきていると言うのも事実あるのですが、それより質が悪いのは、まず第一にWindows の非理論的な構造と柔軟だけど中途半端な表現力が足かせになります。 つまり、Mac(私の知っているのはSystem7までですが)なら起動直後の画面で表示されるのは基本的に(自分でカスタマイズしなければ)HDなどマウントされているデバイスとゴミ箱だけであり、HDの中身はそのままデスクトップにある引き出しとして表現されます。CDを入れたらアイコンが表示されてCDと言う引き出しが増えた事を知らせますし、CDを取り出せばアイコンがなくなり、その引き出しはなくなった事を示します。とても単純にパソコンの画面を「これを机だと思って」と説明しやすいのです。しかし、Windowsの場合はそのような単純な説明は出来ません。デスクトップにマイコンピュータだのマイドキュメントだのが表示されていて、それはなんのためにあるのか、マウントされても居ないCDやFDがなぜいつも表示されているのか、Windowsを使える人には何となくでも理解できる事でも、初心者の人には「デスクトップの下にマイドキュメントがあるのに、なぜエクスプローラで見るとマイドキュメントの下にデスクトップがあるのか?」が理解できないのですよ。で、それを理論的に説明する事も出来ません。最初から「Windowsってこんなものだから、そう覚えて」と言うしかないのです。 そうやってファイルの構造なども漠然と訳のわからないまま突き放されて、その次に来るのは、「WindowsXP 日本語版」と称していながら、日本語ではなく単にカタカナ言葉に置き換えただけの「カタカナは日本語だかんね」「きちんと仕事したかんね」と言う制作側の自己満足の仕様に悩むのです。もう10年以上MS-DOSは使ってきた父ですから、パソコンを扱う事自体は逃げ腰ではないのです。ただ、今まではコマンドさえ打ち込めばスラスラと簡単に出来た事も、Windowsでは簡単にはいかないのです。まず、エクスプローラを起動するにしても、起動するやり方でフォルダ表示窓が表示される場合とされない場合があります。更に、高齢でマウス操作が軽快にできない父は、意志に関わらないところでボタンをクリックしてしまったりする事もあるようで、表示方法が変わっていたりする事もあります。ただでさえその窓にどんな物が表示されているのかを聞いて、その次の操作を指示するのには大変な労力がかかるのに、更に表示方法までが変わっていたりしたら、もうただ「マイ・ピクチャーをクリックすれば良い」と言う答えを見つけ出すためにだけでも10分以上電話であれこれ聞かなければなりません。こういう時のためにリモートアシスタンスがあるのですが、残念ながら実家の通信環境はADSLの8MBPSで、実際につないでみた事もあるのですが、殆ど動かないイライラする環境でした。40MBPSくらいになればさくさくと動くのは判っているのですが、その為に毎月の利用料金を上げるというのも変な話ですよね。 兎に角、出力されるメッセージまでが日本語として意味を成さないカタカナ言葉である事にも憤りを感じますが、Windowsを使える人には、多くの人が慣れていないキーからコマンドを打つという面倒臭い事を駆逐し、マウス操作で簡単にパソコンを扱えるようになったから便利と感じるかもしれませんが、その操作になれていない人には覚えるにも人に聞くにも説明しづらく拷問でしかないようです。そう言う観点からWindowsにはもっと改善すべき点が多いように感じます。いや、パソコンが普及した等という事が絵空事で終わらないためには、日本人なら理解できる言葉で動くよう改善されるべきだと強く感じています。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |