The Green Hills of Earth
Nikonネタが続いていますが…
まだ終わったばかりと言う事ですので、ここで結果をばらすような野暮はしませんが… モーグルは、出場する選手の上位と下位で明らかにレベルが違いますね。ターボ全盛期のF1を見ている思いです。同じカテゴリで競技をしているはずですが、上位(ターボつき)と下位(ターボ無し)ではその性能に明らかな差があり勝負にならない。見ているだけで明らかにレベルが違っていたと言う事です。 モーグルはその得点の半分が滑走で決まるという事ですが、確かに上位の選手の滑走って、スキー素人の私でもスゲーと感心してしまう膝使いです。あのコブのショックが見事に吸収されてしまっていますね。本当に見応えがありました。今日の決勝を見て思ったのは、決勝に出場できる人数を10人くらいに絞ってしまえば、もっとワクワクする滑走「だけ」が見られただろうと言う事ですね。まぁそうすると少数の国の選手が出場枠を独占してしまいかねないのですけれど、兎に角見ている価値があったなぁと思いました。 カーリング…見ているとグッと腕に力が入ります。日本の氷とイタリアの氷では滑りが違うんでしょうか…いや、温度とか湿度の違いでも滑りは違ってくるんでしょうね。人の手でストーンを押し出す作業、多分狙った方向に押し出す事はそんなに難しくはないと思いますが、どれくらいの力で押し出せばいいのか、それを狙った通りにできるって言うのは本当に難しい事だと思います。機械なら前回投げた時の力にどれくらいの加減を加えるかと数値を入力するだけなのですが、人間は常にアナログですからね。その中で上位のチームはその誤差がとても少なく、狙ったところに必要とする時吸い込まれるようにストーンが動くけど、上位になりきれないチームは、残念ながらその辺りの詰めがまだ甘いように思います。しかし、それでも何が起こるか判らないのが人と人が争う競技ですから、そして個人の技量だけが勝敗を決める訳ではない団体競技だからこれからも楽しんで見ていきたいと思っています。
素光さんの「憂鬱な昨日に猫キック 不安な明日に猫パンチ」経由で「鯨肉をドッグフードとして販売する日本を保護団体が非難」と言うニュースを見ました。タイトルの通り、WDCSと言うこの鯨保護団体と称するオナニー(自己陶酔)集団は算数すら出来ない阿呆なんだろうなぁと、そしてこんな阿呆の言う事にもいちいち対応しなければならないというのは本当に面倒で手間の掛かる事だなぁと改めて思いました。 これらヒステリー持ちのオナニー(自己陶酔)集団は、「鯨の目がかわいい」「鯨は頭の良い動物だ」と捕鯨に反対をしました。自分たちは牛を「経済動物」と位置付け、牛もつぶらなかわいい瞳を持ち頭も良いのに「あれは食べるために生産された動物だから食べても良い」と自分勝手な理屈をこねて食べ続け、日本などが大事なタンパク源としていた鯨は残酷だと捕鯨反対運動を展開したのです。そのおかげで、日本では長い間商業捕鯨が出来なくなっており、その文化も消え去ろうとしています。その中で、日本は資源が充分に増えたなら商業捕鯨を再開したいという事から調査捕鯨をしているのですが、このオナニー集団は強固に反対をしているのです。そして、今度は日本で調査捕鯨で捕獲された鯨の肉がペットフードになっていると文句を言っています。そして「ドッグフードのために捕鯨をしている事に不快を隠せない」と言っている訳で、開いた口がふさがりません。 商業捕鯨が出来ない以上、その鯨肉を商業ベースに載せてしまえば、あっという間に在庫は底をついてしまうでしょう。調査捕鯨しかできないから、鯨肉は高値で安定し、私たちのところにはなかなか降りてこない品薄状態が続いているのです。調査した結果の鯨肉は商業ベースで売りにくく在庫がたまる一方で、商業ベースには乗せられない程度の在庫しかないからこそ、在庫調整として仕方なくペットフードにしているという事であって、普通の人が普通に流通の事を考えられるだけの頭があれば、そんな事は誰の目にも明らかです。一年中ヒステリーを起こしてオナニー(自己陶酔)ばかりして「自分たちは正しい事をしているのよ」なんて舞い上がっているから、世の中の常識すら判断できない視野の狭い阿呆に成り下がっているのです。世の中の仕組みをきちんと判断できるだけの頭があればこのようなバカなコメントが出る事はないのです。 日本の発表では、既に南氷洋には商業捕鯨をするに充分な鯨が生息しています。しかしこれらオナニー集団に言わせると、何年経っても、例え南氷洋から太平洋、大西洋、インド洋から北極海まで鯨に埋め尽くされたとしても「鯨の数は充分じゃない」と言い張るでしょう。 このような世間の常識をわきまえない自己陶酔しかできない半端者の集団の相手をするのは辞めて、そろそろ日本は断固たる態度をとるべき時期にさしかかっているのではないでしょうか。 …しかし、今の若い人は鯨の肉とは無縁で育ってきたのですね。果たして商業捕鯨が再開されたとして、私たち鯨の肉で育った世代はそれを懐かしがって食べるでしょうけれど、果たして昔のような活気が戻ってくるのでしょうか。阿呆の自己満足のために1つの国の文化が滅びようとしている訳です。如何に自分のしている愚かな事が正義と信じる世間知らずの阿呆が世間の迷惑になるかを示す本当に良い例だと思います。これら集団のやっている事とオウム真理教に入信し、空を飛行機が飛べば「毒物を散布しておまえ達を殺そうとしている」なんて戯言を信じている阿呆とどこが違うのでしょうね。私にはその違いが全くわかりません。そんなところで愚かな者同士マスターベーションばかりしていないで、少しは世間に目を向けて常識を学んで欲しいものです。
詳細は判りませんが、また細木数子とやらのアドバイスで「X-GUN」が「丁半コロコロ」にコンビ名を変えたそうですね。 まぁ、いつ売れなくなるか判らない似非占い師が稼げる内に稼げと醜くテレビに出張っているのも情けない姿であり、金に貪欲になるにはここまで肝を据える必要があるのだなとある意味納得したりしている訳ですけれど、先日もちょっとここで書きましたように、実の弟が詐欺で捕まるなんて事も予見できないような人の言う事に従って改名をして将来はあるのですかね。 おさるがモンキッキーと改名して果たしてどれだけ売り上げが上がった事でしょう。まぁ確かにX-GUNはボキャブラ天国の頃には結構注目をしましたけれど、最近は全然名前を聞かない状態でしたので、藁にもすがる思いというか少しでも注目されたいと言う気持ちは分かります。けれど、これで何が変わる訳でもないでしょう。そんな事で芸名を変えるなんて情けないなぁとしか思えないんだけどねぇ…ま、占いがしっかり当たってその世界の頂点に立てる事を祈っていますよ。きっと無理だけど…
アオイさんの「アオイシバフ」をいつも拝見しています。2月15日「ワタシペース。<ところで、3連発!>」で、この冬2回車を雪の中にはまらせ救出を仰いだ結果、旦那様から「友達を作りたくて、わざと車を落としているだろう」と言われたそうです。 私の田舎は、兎に角米国(こめのくに)ですから、道路の周辺はひたすら田んぼです。そして住宅地は昔ながらの区画整理のされていない住宅密集地が続きます。ですから、冬の雪が吹雪いている時、郊外では一面の積雪と吹雪とでどこか道路か、どこが田んぼか、何がなんだか全く判らなくなる事があります。地元の人なら「これ位走ったらそろそろ道が左に直角に曲がるはず」なんて判っても、ちょっと縄張りから外れた車が雪の壁につっこんだなんて日常茶飯事でした。住宅街でも一本知らない道に迷い込むと冬だけの一方通行と除雪された雪の壁に阻まれ、自動車が無傷で通り抜けられるなんて事は殆ど望めないと言うのが普通でした。ですから、皆大事な車は冬の間は納屋に入れ、冬はどれだけ傷が付いても良い車にしか乗りません。そう言う車を用意できない人は「車は傷つくもの」と覚悟を決めて乗るしかないのです。そして、冬の風物詩として、車がスリップしてぶつかると、どちらも「またか」とげんなりした顔をして「連絡先はこれ」とメモを交換して、感情を荒立てる事もなく処理をするのです。ですから上京してきてまるで宝物のように車を大事にする人たちを見た時、本当に私は異世界に来たんだなぁと実感したものでした。 さて、前置き(?)が長くなりましたが、アオイさんは「友達を作るため」と誤解されたそうですが、私の知り合いは「ヒーローになるため」雪道にはまるのが趣味というヤツが居ましたよ。もともと田舎の兄ちゃんですから、免許取り立ての若造のくせに、乗りたい車はクラウンだとかセドリック(今ならセルシオだとかシーマでしょうかね)だとか、分不相応な車を無理な借金をして買う訳です。そして、腕もないですから冬の道では直ぐに割れた道路にはまったり、轍にはまったりして動けなくなります。そうするとこの男はニンマリ笑って「俺がここを動けなければ、後続の車は全部立ち往生するんだぜ。さぁ、押せ。俺の車を押して出せ。俺のために働け」とヨロコブのですよ。何とも迷惑な話じゃないですか。本人はこれを「俺がヒーローになる」というのですが、これってどこがヒーローなんですかね。ただの迷惑な若造ってだけなんですけれど、兎に角、その当時はそうやって周りの人が助けてくれるのが嬉しかったという事なんでしょうね。 あんまり脈絡のない話だったでしょうか…ま、そのお話を読んで、年寄りが昔を思い出したと思ってやってくださいな。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |