The Green Hills of Earth
耐震偽装されたマンションを購入した人に対する公的支援の試案が提出され始めました。
子供の頃から相撲を見る事は好きでしたが、最近は仕事の忙しさも手伝って余り見る事が無くなりました。 朝乃若の断髪式にイチローが参加というニュースを見ました。同じ学校の先輩後輩なのだそうです。まぁその人にどのような交流関係があろうとそれは私の知るところ、興味の持つところではないのですが、朝乃若が「今後は若松親方として後輩を指導」というのにはびっくりしました。朝乃若ファンの方には申し訳ないのですが、朝乃若と言えば突っ張り相撲は元気でしたが、それほど強い訳でも無いと思いましたし、何よりその仕切りのパフォーマンスは楽しむ方もいらっしゃったようですが、私には不快以外の何物でもありませんでした。仕切りはお互いのタイミングが合えば直ぐに立ち会うべきもので、お互いのタイミングが合わないのをいつまでも続ける訳に行かないので、時間制限を決め「時間いっぱいです(おまえらいい加減にしろよ)」と行司から催促があるのですよ。それをその意味を取り違え、相手と目も合わさず自分のパフォーマンスをする姿は醜悪という以外何物でもないと私には思えていましたし、事実そのことで親方衆からもクレームがついてパフォーマンスができなくなってからは、それほど目立つ力士とは言えなかったように思います。そして、そのようなパフォーマンスをクレームが付くまで悪びれずやっていた力士に、親方を務めるだけの資質があるのでしょうかと疑問を感じざるを得ません。 力士という世界の中では、引退した時に「何が一番印象に残っているか?」と問われると「十両に上がった時」という答えが多くを占めるようです。十両になれば一人前、幕内に入れば雲の上の人となる訳で、その幕内で相撲を取っていた朝乃若も充分強い力士なのだと思います。しかし、私の思い違いなのかもしれませんが、その昔はもっと「うん、この人なら親方になって当然だな」という人が親方になっていたように感じます。でも、確かに悪く言えばお情けで横綱になって直ぐに引退した人とか、幕内でも下の方で長くとっていた人とかそう言う人も親方になっている事実もあると言えばあるんですね。しかし、最近の親方を見るとどうも小粒だなと言う感が否めません。相撲がまた楽しく見られる日が来るのでしょうかねぇ…
65歳以上の高齢者の犯罪が1991年から15年連続で増え続けているそうで、昨年はついに全検挙数の1割を超えるに至ったそうです。 私が2004年9月20日に書いた「なぜ死刑反対なのか」の補足として2004年9月21日に「死刑の抑止力」という雑文を書きました。その中で「この労働意欲のない若者の成れの果てや、十分な貯金が出来ずに定年をしてしまった老人が生きていくためにはどうしたらいいでしょう。(中略)今現在もちょっと犯罪を犯して刑務所に入るという選択肢を選ぶ人がいるのです。(中略)ここで死刑が廃止になったとしたら、確実に一生を刑務所で過ごせるようにするためには殺人を犯すことだ。と言う事を考えるバカモノが出るのではないかと心配なのです。」と言う話を書いた訳です。 さすがにまだ「死刑」は廃止されていませんので、気軽に人を殺して一生を安穏と刑務所で暮らすと言う人はまだ出ていないようですが、それでも冬の厳しい季節を暖かく三食付きの刑務所で過ごそうと考える人は確実に増えているという事のようです。 刑務所は老人ホームでも慈善施設でもありませんし、その安穏とした生活を得るためだけの為に被害を加えられた人の事を考えると、刑のあり方をもっと考えるべき所に来ているのではないかと思わざるを得ません。 増加傾向が15年も続いてから法務省はようやく重い腰を上げるようですが、また役に立ちもしない「有識者」など税金を無駄に使う人を集め、役にも立たないくだらない案をこねくり回して、結局税金を無駄遣いして何の効果も得られないと言う事で終わるのではないかと予想しますが、どうかその予想を裏切って欲しい気持ちで一杯です。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |