The Green Hills of Earth
もう師走なんですねぇ…
昨日のTBS「うたばん」に和泉元彌さんが出ていました。 あまり…というかほとんど芸能界に興味がない私ですが、この方と母親の巻き起こした騒動などはそれなりに伝え聞いていましたし、先日プロレスにデビューしたらしいと言う話もネットで見かけてはいました。 最初は狂言師として出てきたのですが、突然(私には見たことがない人たちなので本当にそうなのかは知りませんが)、プロレスラーみたいな人たちが乱入してきて「元彌チョ〜ップ」なるものを披露していましたよ。 私はプロレスが好きじゃなかったんです。というのはトラウマ的なものなんでしょう。 子供の頃は私の住む田舎では民放は2局しかなく、まぁそれでもそれはそれなりに毎日楽しいテレビ番組もあったと思うのですが、両親(特に父親)が好んでみていたのはプロ野球中継とプロレスだったのです。多分、当時としては当然の流れのような気がします。家で絶対の権利を持つ父親が1台しかないテレビでプロレスを見ると言うのですから、こちらはそれを見るかそれとも見ないで他に行くか位しか選択肢はありません。そして余り疑問も持たずにプロレスを楽しんでいたんです。そう、最初はプロレスも好きだったんですよ。でも、少しずつ成長していくにつれ、親の熱狂ぶりと、プロレスのショー的部分の差が鼻につき始めたんです。あんな嘘(ショー)の世界を「真剣勝負」と思いこんで一生懸命応援する親の姿がいとをかしと言うことでしょうか。つまりプロレス自体が嫌いというより、どちらかと言えばそう言うものを真剣勝負と信じる親に失望したというか、そう言う姿が嫌いだったというか、兎に角そんなものなんです。 何十年もの間、「私はプロレスが大嫌いなんだ」と頑なに信じてきました。でも、会社で徹夜をするようになって、BGM代わりにつけているテレビの深夜番組でアメリカのプロレス中継が放送されているのを見た時、そこには試合そのものよりプロモーター(?)をも巻き込んだ壮大なショーが展開されているのを見て、そのバカバカしい中にもショーとしての楽しさを見いだした時、私の中で何かが変わったんですよ。まぁそれでプロレスファンになったかと言うとそんなことはないんですけれどね。ファンではないけど、ああいう世界もありかなという感じですかね。 そう言う見方の逆転というか意識下での納得があって、狂言の世界からはみ出してしまった和泉元彌さんがプロレスに参戦と聞けば、本来の私なら「狂言師がプロレスぅ? はぁ〜!?」ってなもんだったと思いますが、「まぁ、ショーだからそんなこともあり何じゃないの?」と涼しい顔をしてみている自分が居た訳ですよ。そう、プロレスを「ショー」としてみれば、それはそれでありなんだなと思えました。 今回の元彌さんのプロレス。直接見た訳ではないですが、どんな試合だったかはそれなりに想像がつきますし、その時に行われたもう一つの試合(?)インリン対レーザーラモンHG…もし、私が子供の頃、こういう試合が行われていたら「ほら、こういう試合があるんだから、真剣勝負じゃないでしょ。これはショーなんだよ。だからショーとして楽しめば良いんだよ」と親を諭して自分も納得し、それ以降も楽しくプロレスを観戦できるファンで居られたかもしれません。でも、「元彌チョップでフォール勝ち」はちょっとリアリティがないなぁと感じますよ。和泉元彌さんが勝つなら誰かが乱入してきて倒してくれたところをフォールするとか、そんな話の方が良かったんじゃないのかななんて思うんですけれどね。 如何にも真剣勝負に見えるけれど、実は詳細にストーリーが決められたドラマ。プロレスはそう言うものですよね。だとしたら、今の個々のレスラーが「これは真剣勝負で俺が一番なんだ」とケンカをしているストーリーよりもっと大がかりな全体を一体化した壮大なシナリオを用意したショーにしてくれたら更に楽しめるのにと私は思うのですけれど、真のプロレスファンの思いはどういうものなんでしょうね。
今までタイトルの「The Green Hills of Eearth」はフォントを指定せず適当に表示していたのですが、先ほどTimes New RomanのItalic表示に指定してみました。特に根拠とか信念があってやった訳ではありません。単にそんな気分だっただけです。フォントサイズなんかも少し大きめに指定したので、このせいで読みにくくなったなどの苦情があればお申し付けください。
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