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2005年11月11日(金) 結婚とは…(BGM「時代」) / ニュースから

[晴]晴れの日もある」経由で「KEVYN」の「11月8日(火) what am i missing here?」を拝見いたしました。

芸能人(彼女のどこに「芸能」があるのか私には理解できませんが)の山口もえが結婚すると言う話の中で「仕事は続ける」と言ったことに対し、他の誰かが「相手が寛大な人でよかったね」と言ったことが引っかかったそうです。なぜ、相手の許可が必要なのか…

うーん、この日記の著者である月子さんも、それを取り上げた「晴れの日もある」のreiko katoさんも「男女とも平等なこの世の中で、なぜ女性が結婚後仕事を続けるのに男性の許可が必要なのか。そういう昔ながらの「男に嫁ぐ」的な考えに引っかかる」と言われているようですが、私は「こういう意見もあるでしょ」と思いました。

結婚の土台として男女の役割や女性の権利を考えると、時代と共に女性の立場や権利もどんどん変化しています。今でこそ女性は権利を主張して男女平等の世界(名目だけでも)になってきていますが、良いか悪いかではなく事実として、女性は不浄の物とされ、生理の時には地下牢に閉じこめられるのが普通だった時代もあった訳ですし、神聖な土俵に不浄な女性をあげるなんてまかりならんというのも伝統である訳です。男女平等なんて話が聞かれ始めたのはここ数十年の事で、それが実を結び始めたのはつい最近のこと、つまりまだまだ「過渡期」の状態と言って良いでしょう。

映画で「三丁目の夕日」なんて昭和30年代の話が話題になって居ます。その映画は昭和33年(1958年)が舞台だそうで、今から50年近くも昔の話ですね。まだ核家族なんて言葉もなく、家ぐるみのつきあい、隣近所とのつながりがあった時代。お母さんが家にいるのが当たり前だった時代。今の中年以上の人たち、そう世の中の半分くらいの人たちはそういう世界で育ってきた世代です。
多くの中年(以上)の人の頭の中では今時の時代がその当時とは変ったことを理解していても、でもそこに染みついているのはそういう時代背景であり、「結婚=家族と仲良く」「結婚=家に入って家事を切り盛り」と考えてしまうんじゃないですかね。また、それが「女性の幸せ」とも思うのではないでしょうか。いや、全員がそう思っているはずだなんて言うつもりは勿論ありません。例えそれが今の時代にそぐわなくても、そういう背景もありますよと言う程度の話です。

先の会話を聞いて「引っかかる」というのは、(嫌味とかそういう意味ではなくて)「男女平等なんだから」という今風の考え方当然のように考える人たちの中で生活をしているから、従来の考え方をしている人に、この時代にそぐわないとイライラを感じるのではないのでしょうか。

「仕事を続けていく幸せ」も「自立することの幸せ」もその「権利」も私は否定はしませんが「結婚して家庭に入る」ことは否定すべき事でしょうか。私はそれも「幸せ」の一つだと思います。また、先に「今は男女平等の『過渡期』」だと書きましたが、中年層以上には根強く、不平等の象徴であるかのような「結婚=女性が家庭に入る」を当然のように受け入れる体質が残っているのではないかなと思います。でも、それが全てではなく、もう時代が変って居るんだなというのは多くの人が分かって入るんですよ。ですから「あぁ、育った環境が違うんだな」程度に受け流せばよろしいのではないかと私は思います。

また、私は山口もえという女性の魅力がどこにあるのかよく分かりませんが、兎に角結婚しようと思った相手にとっては、少なくとも今この時点では「世界一素晴らしい女性」であるのでしょう。相手も芸能人だったならともかく、相手が一般人だとしたなら、自分の世界一素晴らしい女性がテレビに出ていじられるのは好ましいとは思わないんじゃないのかなとも思います。まぁ「芸能人という職業であると言うことも含めて好きになったんだろう」と言うのも正論ですけれど、でも山口もえという女性を好きにはなったけど、できればテレビには出て欲しくないなぁとか、例えばドラマでキスシーンなんか演じられたら(山口もえにそういう話があるかどうかは知りませんけれど)嫌だなぁと思うのは結構あり得る話なんじゃないでしょうか。ですから、その「よく許してくれたね」と発言した芸能人の人って言うのも、そういう意味で一般の人でも理解してくれて良かったねと言うことではないのかなとも考えました。

若い方は、若いと言うだけである意味時代の先端を行っています。お年寄りとの考え方にはギャップがあるでしょう。男女の立場、権利などについては特に差が大きい事柄です。どうかそれが正しいかどうかではなく、昔の考え方に対しても「そういう時代もあったのね」と(BGMに中島みゆきの「時代」でも聞きながら)受け入れ(受け流し)て欲しいものだなと思った次第です。


ニュースから

甲子園の施設、命名権売り出しを検討
阪神電気鉄道は阪神甲子園球場の施設について命名権ビジネスに乗り出すことを検討しているそうです。ただし高校野球の聖地となっている現状を踏まえて、他の球場のように球場の名前を売り出すことはしないとのことです。

大銀傘やシートなどに企業の名前を冠するなどを検討しているそうですが、読売巨人が買い取ったらどうですかね。と私は思いますよ。地に落ちた人気、原監督で回復してくれたらいいのですけれど、それでも足りないならなりふり構わずどんな手でも使うあの妖怪が復帰した今ですからね。阪神甲子園球場の大銀傘に燦然と輝く栄光の巨人軍の名前、ボックスシートは全て「巨人ファンの〜」だとか巨人の選手の名前入りにしてしまう。こりゃ読売巨人の西方征服も間近かなんて話題になるんじゃないですかね。質の悪い冗談でごめんなさい。

2007年10月から甲子園球場は大改修にはいるようです。甲子園球場ができるまでの数年は豊中の競馬場で高校野球は行われたそうですが、それ以来ずっと聖地であった訳ですから、確かにあまりビジネス優先というわけにも行かないのでしょうけれど、どんな風に生まれ変わるのか楽しみではあります。

相馬が引退
元サッカー日本代表のMF相馬直樹が現役引退を発表しました。
サッカー以前の球蹴りしかできない選手の多い中で、相馬は本当に素晴らしいプレイをした堅実な選手だったと私は思います。今後はどのような道に進むのか分かりませんが、どうか後進の指導に当たって欲しい物だなぁと願わずには居られません。日本のサッカーを支えてくれてどうもありがとうございました。心からお礼を言わせていただきます。

高校サッカーで無資格の審判が活躍
日本サッカー協会は、第84回全国高校選手権大会の都道府県の47大会の内20大会で資格のない教員などが審判をつとめた試合があったことを明らかにしました。

無資格の教員が審判を務めた試合で微妙な負け方をした選手たちはさぞ悔しい思いをするでしょうね。こういう事はあってはならないことでしょう。そして、そのために協会はあるのではないでしょうか。協会の存在価値が問われるところですね。
野球のようにプロとアマチュアの垣根が高い訳ではないサッカーですから、これを機にプロアマ問わずもっと審判の質の向上を目指すべきなのではないでしょうか。Jリーグの試合を見ていてもちょっとさわれば笛とかあまりにも質の低い審判のおかげで試合が台無しと言うことがしばしばあります。いつ消えて亡くなるかと心配だったJリーグも定着したようですし、もっと審判の育成にお金を掛けても良いのではないかと思うのですが如何なものでしょうか。


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