The Green Hills of Earth
今日はちょっと毒舌が過ぎるかもしれません。悪気があっていう事じゃないという事だけはご理解ください。後は読む人がどうとるかはお任せいたします。 その昔は「烏の濡れ羽色」などと言って、黒い中にも碧に光るような漆黒の艶々した髪の毛が「美しい」とされていました。長くまっすぐでさらさらの黒髪を供えた美人はまさに「妖艶」なんて言葉がふさわしい感じがしたものです。しかし、いつの間にか漆黒の髪は「重く見えて嫌」と敬遠され、多くの人が髪を染める事を普通と思い始めるようになり、正直私はその習慣がとても嘆かわしかったのです。 折角きれいな髪の毛を持っているのに、なんでそんなピエロもどきに髪の毛を染めなければならないのか、見慣れないからかもしれませんが日本人の体型、顔立ちで赤や黄色の髪なんて滑稽にしか見えないんだけどねぇ(滑稽と言えば、本来は顔の凹凸が激しい欧米人のくぼんだ目の上に骨が作る影を表したアイシャドーも、平べったい凹凸の少ないアジア人の、それも顔よりさらに飛び出ているような目に塗ったくったって不自然で滑稽なんていうのもありますが)…口には出しませんがずっとそんな風に思っていました。 浮浪者や無職を「ホームレス」とか「フリーター」などと呼ぶのは、何も西洋かぶれという風潮というだけではなく、そう呼ぶことで惨めな自分の立場をごまかしたつもりになっただけの話でしょう。今政府が年金や保険料の話しを棚上げにして後に後にとずらして話を濁しているのと一緒で本来は思い切り惨めな思いをして、その悔しさをバネにどん底から這い上がるべきなのに、そんな言葉で満足をしてそこも天国なんだと安心してしまう、つまり努力を放棄する楽な方法を覚えてしまったという事なんですよね。そうやっている人は政治家のことを笑えないですよね。そのカタカナ言葉で現実逃避をする人と髪を染める人って私には同じに見えます。整形して容姿を変える人も然りです。目先の小手先の部分を変えたからといって何が変わる訳でもないのになぜそんなことをするんだろうと不思議です。 中には茶髪にした方が自然でとても似合っている人がいることも事実です。また似合っているとは言わなくても、別に不自然じゃないと言う人も少なくはありません。でも、なぜ染めなければならないのか私はそれが不思議だったんです。ま、それはファッションなどに疎い私にはわかりえない事だと思いますから、それを面と向かっていう事はしなかったんですけれどね。でも、最近ようやく髪を染めるという事が一段落してきたんでしょうか。逆に言えばもう染めることは普通のことで特別の行事ではなくなったという事かもしれませんが、最近は去年一昨年辺りと比べると黒い髪の女性がかなり多くなっているように思います。まぁそれもまた「流行」なのかもしれませんがね。でも、列車に乗っていて黒髪の女性が多いのを見るとなんとなく救われた気分になります。 私は「機能美」という事をここで何度か取り上げてきました。 面倒なことではなく、「機能を突き詰めていくとそこに残ったものは美しい」という事なんです。レース用の乗り物であれ、職人が使う道具であれ、果ては戦争の道具であれ、兎に角命をかけると言うに相応しい現場で使われるものは無駄がありません。それに比べて多数の人が様々な用途で使う民生品は如何に無駄の多いことか。そしてそれが美しいという事はとても稀なことなのです。 私にとって黒髪こそが機能美であり、髪を染めると言うのは「無駄で美しさから遠ざかること」に見えたという事、ほかの誰に賛同をして欲しいと言うつもりもありません。でも、私の理屈わかっていただけたでしょうか。ええ、だから道だという事じゃないんですよ。ただ、最近黒髪の人が目立って多くなってきたので嬉しくなっただけです。はい。やはり日本人には黒髪が一番ですよ。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |