The Green Hills of Earth
ここ数ヶ月、いや、一年くらいに渡って殆ど外に出ない生活をしていました。
「買っちゃった(はあと)」・・・って話だったら、こちらもある意味では自慢できるんですが、実際には食指は動いても手は出ておりません。1月16日にも少し触れましたけれど、私はiPodは持っているんです。でも、この手の機器を使って一番音楽を聴きたいときって言うのは、私の場合はジムで運動をしている時なんですよ。そして、その時にiPodは大きくて重すぎるんです。ですから、曲なんてそんなに多く入らなくてもいい。2時間分位音楽がなってくれたらいいから、兎に角小さくて軽くて多少乱暴に扱っても壊れる心配のないものが欲しいけど、でも「ちょっと高いよね」と思っていたら「Pod shuffle」の登場です。今までの常識をはるかに超える安さで登場です。確かに他の機種に比べてボイスレコーダーになる機能だとかFMが聞ける機能なんてついていませんし、液晶もないので不便・・・そんなことないですよね。自分がつめた音楽を聴くことが目的のものですから、ボイスレコーダになる必要はありませんし、FMだって聞く必要がありません。どちらもあったら便利かもね程度のことですね。そして液晶って何に使うんでしょう。いちいち液晶で曲名を確認しないと安心できないでしょうか。何十GBものHDを搭載して、何万曲と入っているiPodならいざ知らず、iPod shuffleの場合は512MBで120曲、1GBで240曲程度が目安です。その程度の曲数なら別に液晶を頼りにして選曲をする必要なんか無いんじゃないですかね。逆にたったそれだけで液晶がないと不便というなら、その選曲の方法を少し考えた方が良い訳ですよ。 値段さえ安ければ別にiPod shuffleである必要もありません。FMラジオ機能がついていようと、液晶がついていようと問題はないんです。でも、別に私はapple教徒でもMac信者でもiPodファンでもないですが、でもいつもそのデザインの秀逸さと一本芯の通ったコンセプトに感動しちゃうんですよね(Quadra700の後からG3登場までの時代は除く。この時代は最低最悪の時代でしたね。私としては今でもQuadra700は最高傑作だと思っています)。 Macファンではないけれど、機械ファンである私はついついApple製品にノックアウトされることが多いので困っています。もう少し流通が落ち着いてきたら買ってしまうかもしれません。でも、プライオリティ(優先度)は低いかなぁ。まずはLeicaの沈胴レンズ欲しいし…
とりあえず無事帰宅しました。新宿の人混みに尻込みをしかけましたが、なんとか新宿駅からヨドバシカメラにも無事たどり着きました。そして家電用品売り場に向かって目的の物を探しました。しかし、無いんです。他社製品はあるのですが、私が買おうと思っている物だけ無い。店員に聞いたところメーカー欠品だそうで、系列店の在庫を調べて貰ったところ、仙台店にのみ3個在庫があるのだそうです。「うがー!!!」心の中の叫びです。先週仙台にいたのに。仙台で買ってくるつもりだったのに。あの新幹線の特急指定券の金額が憎い。いや、そんな事で動揺して正しい判断を下せなかった自分の未熟さが憎いです。(link) 店員さんの話ではもしかしてモデルチェンジが近いのかも。と言う話でしたが、このメーカーの場合、モデルチェンジと言っても型番が変わる程度で、機能的な面ではそんなに変わらないと思うのです。ですから別にモデルチェンジ前か後かより、健康面で早く欲しい物なので早く買いたかったと言う気持ちが強いんですよねぇ。でも仙台まで買いに行くって言うのもナンですし、ポイントがあるから買おうという気になった訳で、他店で在庫があっても簡単に買う訳にもいきません。でも、一応現物も見ておきたいので、ビックカメラに足を運んでみました。ハルクの上にビックカメラができて何年経ったか分かりませんが、実は今日初めて足を踏み入れました。 小田急ハルクの上にビックカメラがあるというのは知っていたのですが、その右の「さくらや」の看板は何ですか? あの当たりに小さなさくらやがあったのは知っていますが、あんな大きなのがあるなんて…なんか浦島太郎になった気分です。いや、実際にそう言う事になっていたんでしょうねぇ。 兎に角、取りあえず無事に帰ってくる事ができました。良かった〜。
今日(1月31日)の日本経済新聞23面「ゼミナール 産業文化力が拓く(19)」より引用致します。 〜そのビジネスモデルは次第に精ちになってきている。「精ち」ってなんと読むのでしょう。例えば「専ら」は「せんら」ではなく「もっぱら」ですよね。もしかして、「精ち」って私が知らない読み方があったのでしょうか。数秒の間頭の中でぐるぐるそんな考えが回りました。そして漸く「これは「精緻」の事なんだ」と思い当たったのです。 「精緻」と書くと、なんと読むか分からないとしても、その漢字の印象から言葉の意味が想像出来るのではないでしょうか。少なくとも「精ち」と比べたらその表現力はとても豊かではないかと思うのです。その後ろで「萌(も)え」とか「繋(つな)がる」という表記もあるのですから、「精緻」も「精緻(ち)」又は「精緻(せいち)」と表記したらいいのではないのでしょうか。 薔薇を「薔薇」と書くか「バラ」と書くかなど、どこまでを漢字で示すのが良いのか、その境界線については様々な意見があるとは思います。それに「正しい答え」は無いでしょうけれど、私としては、漢字をひらがなに置き換えても、表現力としてプラスにならないと言うより、理解をしにくくする弊害ばかりが目立ってしまうと思います。そう言う意味で新聞の表記方法にはとても疑問を感じる次第ですが、皆様におかれましてはどうお思いになるでしょう。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |