The Green Hills of Earth
2005年01月22日(土) |
犯罪を犯した者への対応は… |
- 14歳未満の少年への捜査や少年院収容について
- 14歳未満の刑事責任を問えない少年の事件での警察の捜査権や少年院への収容を可能にする少年法改正について様々な議論がなされているようですね。
最近の凶悪犯罪の低年齢化から賛成する派閥と、自分で物事を判断できない子供に対して捜査などを許して「子供の権利が守られるのか」「子供の心に障害を残しはしないか」と心配する反対派に分かれている訳です。皆様におかれましてはどのようにお考えでしょうか。
自分の考えを書こうとするととてつもない長文になるのでできるだけ端折ってまとめてみると、私の考えはこんな感じになります。「エネルギー保存の法則と同じで、犯した罪の大きさは年齢の如何によって変わるものではない。子供が責任を取れないなら、その親が責任を取るべきだ」 とね。
犯罪の低年齢化を防ぐには、悪いことをしても罰せられないと思わせるより、悪いことは割に合わないと子供のうちに理解させる環境を作ることが必要ではないでしょうか。子供が「物事の判断がつかない」なら、その管理責任は完全に親にあります。親は子供をコントロールする義務も責任も権利ももっているのではないでしょうか。 ですから、親が責任を持つこと(子供の不始末は親に跳ね返ってくる仕組み)と、犯した罪への償い(罰則)がある環境の整備が急務だと思うのですよ。そういう土壌ができれば、14歳未満への捜査や少年院への収容などは不要と言えるでしょう。しかし、現状のような「物事の判断がつかない」子供の凶悪犯罪を監視・抑止する手段がなく、その責任を誰もが取らない状態では、その子供が責任を取らざるを得ないと思うしかないのです。
蛇足ですが、様々な理由で子供が親の手を離れてしまっているケースが多く見られると思います。話し合う時間が少ないとか、子供が家に戻ってこないとか・・・そういうときにこそ活躍すべきなのが心のケアをする「専門家」なんでしょう。しかし、今現在その「専門家」がどれだけ役に立っているか私には甚だ疑問です。「子供の心に傷を残すから子供にはオブラードで包んで接しましょう」とヒステリックにそれら専門家が叫んだ結果がこの凶悪犯罪の低年齢化を推し進めたのではないでしょうか。子供を虐待することと子供を罰することを一緒くたに混同して、子供の権利などと言う訳の分からないものを作り出し、子供を増長させる土台を作ったのは彼らではないでしょうか。子供への捜査や収容より、このような寄生虫的似非専門家の駆逐が先ではないかとも思います。
- 性犯罪者情報の取り扱い
- 自民党法務部会は、奈良市の女児誘拐殺人事件をきっかけに、性犯罪の前歴がある人の住居情報などを地域住民に公開する制度の検討を開始したそうです。皆様におかれましてはどうお思いでしょう。
更正をしようとする人への差別、障害となると反対をする人がいるようですね。 奈良の殺人事件だけではなく、昨年7月には愛媛県在住の女性が殺される事件がありました。前回も同様の事件を起こして服役していた男が出所してすぐ引き起こした事件でした。(link) その愛媛の事件で私が書いたことを次に引用します。「人権」....とても格好良い言葉です。「差別のない社会」....良いですねぇ。「どんな人にも権利はある」....素晴らしい。えぇ、確かにそれは理想です。殺人犯にも人権はあるから人間らしくする権利はある。ええ、その通りでしょう。しかし、犯した罪で決められた刑期を刑務所で過ごすだけではなく、きちんと犯罪の目がなくなるまで社会と隔絶する事も必要なのではないでしょうか。犯した罪を刑期で償うのではなく、その人が本当に反省をして二度と事件を起こさないような確証が得られるまで社会から隔絶する事は人権を無視したことでしょうか。犯罪を犯す危険のある人を「一般の人」と一緒にしないでくれと思うことは「差別」になるのでしょうか。(2004/07/21「出所してすぐ同じ罪を犯す....」より) 犯罪を犯した人の人権を守るという主張は立派です。罪は服役で帳消しになったと考えるべきということなのでしょうけれど、これはまさに政治家の「禊は済んだ」と同じようなものですよね。人権と言うことを前面に押し出して考えれば、禊(服役)が済んだのだから、これからは真人間として扱うべきなんでしょう。しかし、しでかしたことはゲームのようにリセットできないのです。
私は、それこそ体に発信機でも埋め込んで、彼らがどこにいるかを常に誰でもが把握できるシステムを作って欲しいと思います。それが実現するなら、現状で服役期間が7年とか10年だとしたらそれが半分になってもいいと思います。
乱暴な話ですが、虐待に耐えかねての殺人はありうるかもしれないと私は思います。それに情状酌量の余地はあるでしょう。しかし、強姦や幼児への悪戯などにどんな言い訳の余地があるのでしょう。更にその後に殺人などがついては尚更です。 自分の欲望のために人を蹂躙するなどと言う罪を犯した代償はそんなに軽いものではないでしょう。許されざる罪を犯した人の人権と、普通に生活をしていただけなのに、ある「異常者」の気ままな犯行の被害にあってしまった被害者や、被害者になり得る周囲の人の人権を比べ、どちらが優先されるべきでしょうか。再犯率は低いという反論もあるようですが、その犯行の異常性を考えてみてください。一生とは言わなくても、何年か何十年か再犯の危険はないと革新できるまで拘束されるに足る異常性があるのではないでしょうか。
様々な議論をみていると、被害者になってしまった人、これから被害者になるかもしれない人より、罪を犯した人をどう守るかだけが重要視されているように思います。法治国家とは「罪を憎んで人を憎まず」ということだという変な意識がありすぎるんじゃないですかね。私は部分的に「目には目と歯を」でいいと思うんですよねぇ。
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