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2004年06月05日(土) お知らせ(飛び先の変更) / 子への接し方 / ネットは規制されるべきか

日記才人、テキスト庵に登録した当雑記のURLを、HomePageからエンピツの目次ページに変更いたしました。
日記才人→HomePage→雑記クリック→当日を選択 なんて面倒ですものね。
私の考えとして、雑記本文にたどり着くまで2クリック以内。それ以上は見る気がしなくなる。と思っております。一応私もソフトウェアをつくる立場ですから、ユーザーインターフェースは自分なりのこだわりがあるんですよ。

最新雑記のページに直接飛べばもう1クリック節約できるのですけれど、私の場合、一日に複数回更新をしていますので、まずは目次でも眺めてやってください。と言う意思の下、あえて目次ページへのリンクとしております。
まぁ、とりあえず小さいながらこだわりはあるんですよって事で。


子への接し方

昨日書いた「未成年の事件」について質問をいただきました。
抽象的で分かりにくい話だったかもしれません。ただ、子供と親の関係は千差万別ですから、一概にこうするべきと言う事は言えないのだと思います。それを踏まえたうえで、掲示板に書いたことも含めてまとめてみます....一度書いたものが消えてしまって、脱力しています。

子供は未完成だから子供だと思っています。それは昨日も書きました。
未完成だから、感情の発露が突発的だし、感情的だし、視野も狭いし、思いやりが足りないし、陰湿だし、残酷だし、いじめを罪悪感なしにする訳です。これは全ての子供がもつ資質です。この資質が頭角を現すかどうかは、その子供の持つ常識に左右されます。常識とは、本来なら「世間一般に通用する、皆が知っていること」なんでしょうけれど、子供の「世界」って狭いですよね。大人は「親」「学校の先生」「友達のお母さん」と「近所の人」くらいしかいないのではないでしょうか。それに自分の友達をいれて、「世界」は構成されています。その世界で親が子供の相手をしなかったとしたら、子供はどこから学べばいいのでしょうか。「子供にも人権はある。一人前の人間として接するべきだ」「子供のプライバシーを尊重して、一部屋を与えている。テレビもゲームもパソコンも備えている」私はそんな言葉につばを吐きかけてやりたい。

昨日書いたことですが、子供の教育を自動車免許に例えれば、小学生などまだ教習所にも入っていないバリバリの無免許です。そんな状態の子供を一人前と認めて公道に放り出すなんて冗談じゃない。それを具体的に「どうしろと言う事?」と言うなら、一言で言ってしまえば「子供としっかり話をして、子供が何をしているのかを親が把握しておくべきだ」と言う事です。まだ、子供は自分で全てを判断できないでしょう。子供はまだ子供であるときちんと理解をして、子供に今日一日何があったのかを把握して、子供の行動に親が責任をもてる状態にしておく必要があるって事です。「うちは放任です」「子供もプライバシーを尊重しています」どちらも私には「子供が何をしているのか全然分かっていません」という言葉にしか聞こえません。未完成でどうしたら抱えた問題を解決できるか分からなくて悩んでいる子供に対して、親がその子供に悩みがあるのかすら認識しないとしたら、狭い世界の中で後は誰に頼ったらいいのでしょう。

責任を取り義務を遂行できるから権利をもらえるのと同様、一人前の人間として認められるからプライバシーも与えられるのです。本来子供には「権利もプライバシーも一切ない」というのが正しいと私は思います。ただ、それなら子供から全部取り上げてしまえというのではなく、必要なものは与えたらいいのです。ただ、子供が何をしているのかはきちんと親が把握しておく必要がある。「子供のしたことですから」ですまない事件が多くなってきたのですから、親の子供への責任をしっかりと持たなければならないでしょう。子供の行動を把握できない親はそれだけで罪であり、エネルギー保存の法則と同様、子供が責任を取れないなら、その親が責任を負うのは当然だと思っています。と言うと極論に過ぎるかもしれませんが、少なくともそういう気構えで子供に接して欲しいと思う次第です。


ネットは規制されるべきか

そうそう、長崎の事件で子供がネットを使うことを何らかの形で規制しようとか、「ネチケット」をしっかり教育しようなんて話が一部で盛り上がっているみたいですね。私は規制には大反対ですし、ネチケットなどと言う戯言をまじめに取り上げる方がおかしいと思っています。

川が下流へしか流れないように、一度生じた波を止めるのは難しいことじゃないですかね。既に世の中はパソコンの必要性を認めて、小学校でもパソコンを授業に取り入れているところが多い訳です。それをいまさら規制するなんて出来やしませんね。掲示板書込み禁止とか、チャット禁止なんていうのも全く効果のない阿呆な話です。流れを食い止めるのではなく、如何に下流へスムースに流すか、問題が起こらないようにするかが焦点になるのではないかと思います。
そして、そのために「ネチケット(この言葉どうにかなりませんかね。書いているだけで恥ずかしくて、鳥肌が立ってしまいます)」を学びましょうなんて得意げに言う輩は、私は絶対に信用しないです。
  • 私が育ってきた環境では納豆を食べます。しかし、関西方面では納豆文化はありませんでした。未だ、納豆を見ただけで気持ち悪いという人もいますし、関東のうどんつゆの真っ黒さをみて「信じられへん!」と大声で騒ぐ(自称)関西人もいます。ごく普通に食べ物を持ってきても、それを見ただけで気持ち悪くなる人もいるってことですね。
  • 通勤ラッシュの駅で、列車に乗ろうとする人と、列車から降りようとする人が同じホームにいると仮定しましょう。流れは全く逆です。自分が行きたい方向があるのに、ラッシュの人に阻まれて動けない。その人は不愉快でしょうけれど、その人の行く手を阻んだ人達も別にマナーに違反した訳ではありません。
  • ラッシュの電車の中で、つり革につかまっている男性の後ろで胸の大きな女性が、自分の胸が前の男性に触れないよう、一生懸命自分の手を間に入れてガードしています。しかし、前にいる男性はぎっくり腰で腰が痛い。それなのに、後ろの女性は自分の腰に手を当てて自分の体を支えているのです。
  • レストランで喫煙可を確認して、タバコを吸っていたら、隣に案内されてきた人が「禁煙席はないの?」と言い、「今満席です」と言われたら、吸っている人に向けて「タバコは体に悪いから、吸わないでください。迷惑です」と言った。
さぁ、どちらが非常識な人ですか?
ネットで見知らぬ人と接するマナーとは、その人の常識の中で、人を思いやることがどれだけ出来るかってことに掛かってくるでしょう。常識とは、その人が生活する環境で決められるもので、ネットの世界だからとか、リアルの世界だからなんて関係ありません。ただ、感情の伝わり方は次の順で伝わりにくくなります。

面と向かって話す>電話で話す>チャットで話す>メールや掲示板に書く

つまり掲示板やメールは一番感情が伝わりにくい最低の手段ですから、普通以上に気を遣わなければならないってことを理解するだけの話です。
それをいかにもネットにはネット専用の何かがあると思い込んでいるのは、その人の無能さを晒しているようなものだと思います。それが普通の日記書きさんだったらまだしも、何とか学者だの何とか教授なんていうのが言うとしたらの話です。

マナーも常識も机上で学ぶものではなく、経験して覚えるものです。


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