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2004年05月21日(金) (いわゆる)ネットを徘徊して思うこと / 裁判員制度

この雑記を書き始めた頃に書いた事。

「(いわゆる)ウェブで文章を書いているなら、攻撃されることも覚悟の内に入っていなければならない」
今でもその気持ちは変わっていません。これは物事の本質であって、そうあって欲しいという希望的な事項ではないからです。

どんな人が読むか分からない場所で、全ての人に門戸を開いているなら、思っても居ない意見をもつ人とぶつかることもありうる訳です。中には「個人のページだから不愉快な書き込みはやめて」とか「楽しく会話をしましょう」という「希望」を規則の様に書かれているページを拝見することもありますが、どこまでが「愉快」で、どこまでが「不愉快」になのか明確な基準がある訳ではないのが困ってしまいます。
例えば作者が「私はこう思った」と書いたことに対し、掲示板で「それについてこう思う」と別の意見を言っただけで非難されることもありますし、「私はこれを買った」と書かれ、更に「どんな事でもいいから情報を求む」とあるので「それはこんなところには良いけれど、こんな欠点がありますよ」と書いてみたら「あなたはこれが嫌いなんですね。私はこれが好きなんだから放っておいて!」ときれていた人も居ましたし、「私はこんなことをしました」という日記に対して、その人は「そんなことをしたんですか。(ご苦労様でした)」と書いたはずなのに、作者の方には(ご苦労様でした)が見えず、「なんか、私悪い事した!?」って怒ったり....あちこちを覗いていると、かなり多くの揉め事が主観の相違、常識の違い、読解力不足に起因しているように思います。
明確な基準を引けない(その日その時の気分や誰の発言かで許容量が変わる)作者自身が判断基準である訳ですから、掲示板やメールの書き手はその範囲を超えないようにすることは、まぁある程度は出来るでしょうけれど、確実ではない訳ですね。

本来常識とは万人が共通で持っている認識である筈ですが、例えば「味噌汁の味噌はなに?」と聞いたら「赤味噌」「白味噌」と分かれるし、「では、出汁は?」と問われたら、「あご出汁」「かつお出汁」「昆布出汁」などとやはり分かれるでしょう。「味噌汁」という概念では常識として通じても、材料については、常識は自分(及び限られた地域)にしか通用しないものに成り下がってしまいます。それはあるところでは相手が、あるところでは自分が「常識知らず」になってしまうことを指しているのです。ご理解いただけますか。
同じ事を見ても、人それぞれの環境などによって、受け取り方が違います。常識が狭い範囲でしか通用しないから、不特定多数の人が文章を読んで受け取るものも様々でしょう。
そんな例に拠らずとも、物事には表裏があり、人のとり方によってどちらにも取られる事がある。そして、10人寄れば10人の意見がある。(1000人寄ったら1000通りの意見がある)という事を理解しないと駄目という事なのでしょう。自分は表のつもりで言った。けれど、それを裏ととる人が居る。更に書いた文章が言いたかったことを、ある人は、その文章のある部分から全く別の意味に解釈し、全く違う主張を読み取ってしまった。こんなことは良くあることです。そういう事を理解したら、「不愉快な発言はご遠慮下さい」って言うのが、実は自分が不愉快な(に見える)発言をしているということに気付いて欲しい....

偉そうに書いてごめんなさい。私自身、他人の揉め事(?)を見てそう思いますけれど、多分に自分に降掛ってきたら、正しく対応できるか甚だ疑問です。ま、ひとつの客観的な意見という事で.....

最後ではありますが、これは、最低限度の常識の通じる人(話し合いの価値がある人)同士の意見のすれ違いという事に対して書いたものである事を明記しておきます。


裁判員制度

市民が、法定刑に死刑や無期懲役を含む重大な事件の審理に参加する裁判員制度が参院本会議で可決されたようです。

これの趣旨が良く分からないんですよ。「開かれた司法」という事なら、裁判の公開などを推し進めれば言い訳で、なにも市民を巻き込む必要はないんじゃないかと思います。
例えば、オウム真理教のアサハラショーコーが審議の対象なら「審議の必要なし。死刑」で全員一致するかもしれません。が、多分、そんなことは許されませんので、これはかなり長い時間がかかる審議になるでしょう。それを「重大な事件に関わることが出来た」ととるか「面倒に巻き込まれた」ととるかは本人次第ですが、健康上の理由で辞退が出来るのは納得が出来ますけれど、仕事が忙しいも辞退の理由になるなら、多くの人がお断りするんだろうなと思ってしまいます。

大体、開かれた司法を目指すなら、もっと弁護側をどうにかするべきではないかと思います。前にも書いたことですが、人を殺した事件では、鸚鵡(おうむ)の様に「心神喪失状態で」と繰り返すバカさ加減はいい加減にして欲しい。興奮状態にあったか、追い詰められていたか、とにかく極限の状況であったから殺人を犯した。それは分かっています。御幣はあるけれど、その殺人の「正当性」が認められるかどうかを審議するわけで、心神喪失だから無罪とか、そういう長引かせる工作をする弁護士を解雇できる手段を作る方が余程開かれた司法、迅速な裁判に貢献することになると思います。いかがなものでしょうね。


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