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2004年05月07日(金) 分かりあえる? / 嫌煙は偉いのか? / トイレットペーパー / あらあら / ユニクロ

今から15年くらい前、私は東京の練馬区に住んでいました。前は区役所の近くに住んでいたのですが、仕事の都合で茨城に転勤となり、戻ってきたときには家賃の安い、当時は西武線が南北を分断して寂れた感のあった豊島園裏に引っ越したのです。この時の目的は、当時は豊島園始発で池袋まで直通の列車があったので、そこに引っ越せば通勤の往復とも座っていけると思ったからだったのですが、引っ越して何ヶ月もしないうちに、西武線の立体化工事に伴って、豊島園からの列車は隣の練馬駅までしか行かなくなってしまい、脆くももくろみは外れてしまったんですよね。
この辺りに住んでいる人なら「あぁ、あの時代か」と懐かしく思うかもしれません。私はこの豊島園の裏手に二年ほど住んでいたのですが、ある時テレビを賑わすニュースがありました。「東京都練馬区で連続放火事件」ってやつです。私の住むアパートの斜め後ろの家が、この事件の標的になって全焼したんですよ。実は、その前に転勤で引っ越した先では、私の住んでいるアパートのはす向かいで発砲事件があり人が死んでいましたし、その前の練馬区役所裏に住んでいたときも、近くで発砲事件と放火事件があったんです。この頃は私の引っ越す先々で必ず事件があると言われていて「もしかして疫病神?」なんていわれていたんですよ。確かに私の近くで事件がある。しかし、私の知り合いには、野次馬的ニュースを提供はしますけれど迷惑は全くかけていないんですから、そんな事はいわれたくないですよね。

兎に角、その豊島園の放火があったとき、私が住んでいたアパートは木造二階建てで、各階3世帯のアパートだったんです。私は二階の奥に住んでいて、階段は真ん中の部屋の正面に上がってくる格好でした。
で、私は、基本的には小心者ですので挨拶も人付き合いも苦手です。けれど、引っ越してきたら一応お隣にご挨拶とか、それくらいの事はできます。一応タオルを買って、お隣に行って、ドアをノックして、でてきた人に「隣に越してきました。よろしくお願いします。」くらい言えますとも。そしたら相手が「わざわざ、ご丁寧に。こちらこそよろしくお願いしますね」くらい返してくるんでしょ。それが普通じゃないですか。ところがこのお隣さんは違ったんですよ。ドアをノックして待っていると、ギーと開いたドアの向こうには深いそりの入った頭とコワモテのおっさんと結構きれいだけど無表情な奥さんらしき人がこちらをじっと見つめています。物凄く無表情に見つめています。見つめています。あ、挨拶だと思い出し「隣に越してきました。よろしくお願いします」とちょっと引き釣り気味の笑顔とともにタオルを差し出すと、「...................」無言で身動きせずこちらを見ています。「あの?」と言って、漸く奥さんの方が手を出してタオルを受け取りましたが、一言も発せずです。もういいやと「ではよろしくお願いします」と言ってドアを閉めて退散しましたが、できるだけ関わりたくないと思ったんです。でも、ここは家賃もやすい木造のアパートです。ちょっとした音はすぐにお隣に筒抜けになっちゃいますよね。
引越しして何日かしてすぐに気付いたこと。お隣さんのお風呂は、私の側の玄関横にあるのですが、夜中の2時頃お風呂に入るのです。それも3,4歳の子供も一緒です。更にどうも旦那さんも一緒です。あのー、ここのお風呂正方形じゃない形の一番小さい奴なんですけど。長辺でも100cmないんじゃないでしょうか。どうやって親子3人で入っているんですか。それも、楽しく入っているならまだ良いんですけれど、「○○(子供の名前。良く聞き取れない)はママのこと嫌いなんでしょ!」と金切り声が。そして「ちがうよーママのことすきだよー」って子供の泣き声。その内旦那さんの「そんな悪い子はどこかにやってしまおう」とか兎に角、両親揃って子供をいじめているんですよ。大体、そんな小さな子供がこんな時間に起きているって何ですか。うるさいし。兎に角一日中どの時間帯でもママの金切り声と子供の泣き叫ぶ声が聞こえてくるんです。変わった人たちだって思いますでしょ。私が不在の時に荷物の配達があると、宅配便の配達の人は、気軽にお隣に預けていくのですが、お隣に「荷物を預かってもらっているようで、どうもありがとうございます」ととりに行っても「は?」「なに?」としらを切って渡そうとしないんですよ。玄関に私の名前の伝票が付いた荷物があると、もう強引にそれを受け取って、ありがとうございましたって帰ってくるんですけれど、どこか異常って気がしませんか。

そんなときに、冒頭の放火事件が起きたんです。
テレビでも新聞でも取り上げられていた連続放火事件。そのひとつが自分の住む家のすぐ裏手で起きたんですよ。そうなったら、少しは防火って気にしませんかね。ところがお隣さんは灯油のポリタンクをのんきに玄関の外に並べています。えとね、間違いかもしれないけれど、東京都の火災予防条令でアパートでの灯油ストーブって使用を禁止されていませんかね。いや、禁止されているかどうかより、そんな危ないものを家の外においておくなんてどんな神経をしているんでしょう。もしそこに火をつけられたら、私はどこにも逃げられないんですけれど....
そんな訳で、私は絶望を胸に抱いてはいましたが、「灯油は中にしまっていただけませんか。ここにおいているのはとても危ないですよ」という話を平身低頭して言ったつもりです。しかし、返ってきたのはまるで日本語を解せないかのような無表情で、翌日1個増えた真新しいポリタンクが、私の言うことは理解したけど、お前の迷惑なんか関係ないもんね。ということを言い表しているんだなと理解した次第です。
もう、これ以上話すことはないと思いましたので、お隣さんが時間を気にせずマイペースでお騒ぎしていらっしゃるのですから、こちらもお隣には気を使わないように致し、時々隣からこちらの部屋に向かって壁をドンドンと叩く音が喝采に聞こえるようになりました
。下の住人の方とは、たまたまお話をする機会がありまして、その方も大概迷惑していたらしく、私の計画に賛同していただけたようで、下の人とは仲良くやっていたことは明記いたします。

兎に角です。私にとってはあちらが「非常識で無神経で迷惑千万な人」と映っていましたが、多分あちらには私がそんな人に見えたのでしょうね。面と向かってそういわれたら、頭から湯気を出して「お前には言われたくないよ」と怒るでしょう。「お前のような非常識な奴に何でそんなこと言われなあかんの」とまくし立てることでしょうけれど、あの非常識な人には非常識な人なりのルールがあって、それに従っているのでしょう。そしてそれに従わない私が非常識な人になっているということだと思います。

つまり、世の中には誠意を持って話をしようとしても、絶対に理解できない人がいるということです。
愛情を持って話をしても、常識を持って話をしても、下手に出ても、論理的に話しても、どう接しても、自分とは全く相容れないということはあるのです。法律的な立場の人なら、それでもその人のどこかに良い所はあるはずだと弁護をしようとするのでしょうけれど、残念ながら私は弁護士でも坊さんでもございません。そんな訳で、自分と相容れない人が居るということを重々承知しておりますので「戦争は野蛮」「話し合えばなんでも解決できる」という類の人を信用できないのです。
中東(アフリカ北部からシナイ半島辺り)はイスラム文化とベドウィン(放牧民)の地域であり、もともとは国というより部族が支配していたのでしょう。そのイスラム教の聖地でもあるメッカを含む地域にイスラエルなんていう国を作ってイスラム文化圏にけんかを仕掛けたのは(欧)米じゃないですかね。そして金はあるけど、兵器は欧米にコントロールされていて思うように買えないから仕方なくテロという攻撃に出ているのに、それらを棚に上げて、中東が火種だのテロの巣窟だのよく言えるよねと思うのです。そういう事を理解して、それでもアラブ諸国がテロをしているのが悪いとか、話し合えば世界はひとつになれるなんて言っているのかな。宗教が絡んでいなくても分かり合えない人がいるんですよ。それなのに、自分の生きる基本(除:日本人)である宗教が対立している国がひとつになれるなんて思うのは如何なものでしょうね。本当にあなたの目は物を見ているの?と一部の人の意見を見ていると思ってしまうんですよ。


嫌煙は偉いのか?

名倉さんの「プチ日記(Otearai Web コラム)」を拝見し、「Go smoking」というサイトを知りました。Netscapeでは正しく表示できないページもございますが、結構楽しく拝見いたしました。

私は過去に一度5年ほど禁煙をして、事情があって再開はしましたが、またタバコをやめて3年程経過しています。

タバコを吸わない人は「タバコの煙は有害だ」「臭い。匂いがつく」「飯食べてる横で吸うな」「嫌煙権がある」「迷惑だ」兎に角思いつく限りの言葉でタバコを吸う人を攻め立てます。
先のGo smokingの「Information」にも「嫌煙家の方からの貴重なご意見」というのが載っていますけれど、ここを見ても、残念ながら「傲慢」な意見が多いですよね。
今世の中では「嫌煙権」「禁煙」「No smoking」という言葉が大手を振って歩いています。でも、本当にそれは正しいでしょうか。

最盛期にはハイライトを1日4箱以上吸っていた私も、既にタバコをやめて3年が経過するところですから、目の前でタバコを吸われたら、とても臭いと思いますし、ご飯を食べているときにタバコの臭いがしたら食欲が減退しますし、人ごみの中で歩きタバコをしている奴、タバコの火を人にぶつけている奴、マナーを守らない奴、兎に角さまざまなタバコを吸う人に腹を立てることがあります。でも、彼らに「私の権利だからタバコを吸うな」といえるとは思いません。喫煙者には「喫煙をする権利」があると思います。

彼らが吸っているのは、日本が発売を認めた嗜好品である訳で、もし、それが不当に弾圧されるのであれば、例えば臭いという理由なら「くさや」を供する人や店、にんにくやラッキョウを出すお店、その他自分が嫌いな臭いを発するものも弾圧されるべきです。汗臭いとか脇の臭いが強烈な人も弾圧されたらいいでしょう。
個人がどんなに嫌いだ、健康に悪い、不愉快だと思ったとしても、それは嗜好品として合法的に売られているものですから、それを堂々と楽しむ事は認めなければならないでしょう。タバコは健康を害するから、吸わない人から隔離してほしいという意見は、それはそれで一理あるかもしれません。しかし、それならば、ただ「吸うな。迷惑だ」と投げ捨てるだけではなく、タバコを吸う人の権利を妨げることなく吸う場所をきちんと提供してから言うべきではないでしょうか。

嫌煙権とか、タバコを吸わない人というのはそんなに偉いですか。
タバコを吸っている人が先にいるなら、自分がそこに近寄らなければいいのに、自分の方が正しいと思い込んでいるのか、後から来て、さも迷惑そうな顔を喫煙者に向ける人を良く見ます。それは正しいですか。私は結構鼻が敏感なので、女性の(最近はたまに男性も)香水などの臭いがとてもきついのです。その人たちに嫌臭兼だと騒いだら理解して、臭いを抑えてくれるでしょうか。
タバコの煙が有害だと騒いでいる人は、当然ながら車に乗っていないでしょうね。列車にも飛行機にも乗っていないでしょうね。タバコなど全く比べ物にならないくらい公害を吐き出すあんな野蛮なものに乗らず、歩くか駕籠、人力車を利用していることでしょう。そして電気や水道、ガスも公害の元ですから文明を捨てて生きていることでしょうね。違いますか。
たとえば、山手線は(今はどうか知りませんが)新潟県の小千谷付近の山本山ダムというところで発電した電気をラッシュ時には引っ張ってきて電力を賄っています。山手線に乗っているだけで、自分のあずかり知らぬ数百キロ離れた新潟の人を発電に伴う公害で、そこから山手線までの送電線付近の人を送電に伴う電磁波で痛めつけているんですよ。どうしてそんな事が平気でできるんですか。今こそ嫌電権を合言葉に立てよ国民....
タバコは有害な物質を含んでいて、慣れていない人には臭くて、煙い。ということですけれど、そんなものは他に幾らでもあるでしょ。それを全く考えず、目の前にあるから嫌いだと叫ぶだけで、また周囲がそんな風潮だからと自分が正義であるかのように傲慢に振舞うのは正しいことでしょうか。私はそうは思いません。

タバコを吸う人には、吸う権利がある。
タバコを吸わない人は、タバコを吸う人を思いやる義務があります。
「気を使う」というのは一方通行ではありえません。お互いが融通しあって、気を使って楽しく過ごしたらいかがですか。私はそう思います。


トイレットペーパー

ちょっと汚い話かも。お昼時にすみません。汚い系が苦手な人はパスしてください。

関東では二枚重ね、関西では一枚巻きのトイレットペーパーが主流だそうですね。

暫く前、テレビでそんな調査をしているのを見ていたのですが、関西のおばちゃんが「一枚のほうが二枚重ねより量が多いねん」みたいな事を言っていて、確かに二枚重なっているからと言って、それが破れないって保障ではないし、どうせならより長い物を買って、自分の好みの長さに折りたたんだ方が経済的かなとも思えました。

人様が最後に出すものって、粘度や柔らかさがさまざまなんですよね。トイレに入ったと思ったらすぐに用をたし終えて出てくる人も居ますし、なかなかでてこない人も居る。なかなかでてこない人の中には、出すことに時間をかける人と、拭くことに時間をかける人とその両方というタイプがあるようです。肉食系の人はころころとしたほとんど拭く必要のない物が出てくるみたいですし、草食系の人はその逆になるのかなと思います。
私はどちらかといえば草食系ですので拭き取るのに苦労をするタイプですが、家にはTOTOのウォシュレットがありますので、洗浄後の水分を拭き取るというのがトイレットペーパーの役目と言う感じですからトイレットペーパーはそんなに消費しないんですよ。だから一枚巻きの方がいいのでは?と余計に思った次第です。

全く別の昔のテレビ番組で、「トイレを楽しくする発明」というのがありました。それは簡単に言えば大きな糸巻きみたいなのを使ってトイレットペーパーを巻き取るというものでした。皆さんはトイレットペーパーを一度にどれくらい巻き取りますか?先の肉食系の人は30cmもとれば拭けちゃうのでしょうけれど(いや本当は拭く必要すらないというタイプの人も居るんですよね)、草食系の人は粘りますのでそれなりの厚さにしないとすぐに破れて困ったことになったりする訳です。私はウォシュレットがないと一枚巻きのペーパーで60cm位切り取るかもしれません。それを3〜5回折りたたんで拭き取るんです。で、ウォシュレットがあると、15cm位で済ませちゃうでしょうね。しかし、そのテレビで発明を発表したご家族は1回ごとにメートル単位を巻き取っていました。大人の手のひらくらいの幅に何十回もまきつけられたトイレットペーパーの束を使ってお尻を拭くのだと見受けられました。なんというか、確かに汚れたお尻に手がついちゃったら汚いですけれど、洗ったら済むんとちゃいますか。そんなに頑ななガード必要ですかって思っちゃいます。

うーん、皆さんはどれくらいの長さで拭いていらっしゃるんでしょ。教えてもいいよという人は、草食系か肉食系か、ウォシュレットのある時ない時(片方でも可)、そして1枚巻き換算でどれくらいかをBBSにアップしてくださいね....(匿名可。メールでも可)

兎に角、そんな訳で、先日からうちのトイレットペーパーは一枚仕様となりました。
結果から言えば、慣れの問題かもしれませんが、次回買うときはまた二枚重ねにしようかと思います。一枚と二枚で何メートルの差があって、どれだけ節約できるのか。使っているだけではあんまり実感がありません。先にも書きましたように、家のトイレはウォシュレットがついていますので、水分を拭き取るだけの最低の長さしか使わないのです。ですから一枚のペーパーを引き出して数回折って使うのも、二枚を(一枚の半分)引き出して折って使うのも、結局は同じ長さしか使わないのです。一枚は任意のところできることができますが、二枚重ねはミシン目で切るでしょうから、そこでも多少の長さの差はと思われます。その少しの差の繰り返しと、ロール自身の巻きの長さの違いの合計で後何回お尻を拭けるのか私には分かりませんが、私の感じるところでは、それは「数回」程度の誤差ではないかと思えるのです。つまり、どちらのペーパーを使っていても、トイレットペーパーがなくなって新しいペーパーに入れ替える間隔はそんなに変わっていないと感じているのです。ならば、より柔らかく感じる二枚重ねの方が私のお尻には優しく感じます。という結論でした。

皆様のトイレ考をお聞かせください。お待ちしております。



あらあら

今日は書きたい事があって、もうひとつ書いていたのですが、登録の時点になってエンピツから「日記は原稿用紙20枚以内でお願いします」とエラーにされてしまいました。長いとは思っていましたが、今日はそんなに長かったですか。そんな訳で、今日かきたかったもうひとつの事は明日書くことに致します。

しかし、「原稿用紙20枚以内」って言われても、そんなのどうやって調べたらいいのでしょう。確か原稿用紙は一枚400文字ですから8000文字以内って事ですか。うーんこの辺りはMEMORIZEの方が許容範囲は広かったし、文字数を確認するツールもあったし便利でしたね。ま、書き過ぎですね。反省します。


ユニクロ

先日、初めてユニクロで買ったポロシャツですが、今日「廃棄」を決定しました。
最初に着た時から袖の縫い目が当たって痛痒い感じだったのですが、洗濯を何度かすれば収束するかと思っていたんです。けれど、3度洗ってみても全然変わらないので、もう駄目と判断した次第。この手のポロシャツは素肌の上に直接着るものでしょうから、肌触りが悪くてはどうしようもありません。

残念ながら私と同じような体型の友人は居ませんし、雑巾にするにはすごく悔しい(\3,000の雑巾って腹が立つでしょ)ですから、もう見なくて済むように廃棄するのです。2度(合計3時間程度)しか袖を通していない黒のポロシャツ。ほしい人が居ればあげますよ....ただし、サイズはXLですけれどね。


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