The Green Hills of Earth

日記内検索は目次ページにあります。
☆★CF-W2関連:「分解/HDD交換」 / 「キー清掃」★☆

2004年05月03日(月) 虐待 / (自己責任とは)

どこまでが本当で、どこまでが嘘で、どこまでが情報操作なのか分からない部分がありますが、イラクで米英兵によるイラク人への虐待があったのは事実のようで、それが組織ぐるみだったのか、それとも一部の心無い兵隊の暴挙だったのかという事で言い訳をしようとしているようです。

はるか昔の民族の膨張に伴う移動(勢力拡大)や民族間紛争では、必ず男は殺すか奴隷に、そして女は強姦して孕ませるというのが戦争では当たり前のことでした。これは十字軍などというキリストを布教するための軍隊遠征だって一緒で、まぁ昔のことですから、今時のモラルを当てはめるのはおかしいことですが、宗教の名において、異教徒の間違った道に進んでいる哀れな者どもを、主の御名において改宗させてあげていたんですよね。抵抗するものは殺すし、異教徒の哀れな女には正しい自分達の子供を孕ませることで正しい道に導くとかそんな言い訳をしながら女性を現地調達していた訳です。
その時代のそれも、宗教への盲信と思いこみによる、利己的な正義感もありますが、戦争という人を殺すことが日常茶飯事の環境で精神が高揚し、異常を感じるセンサーが鈍感に成った結果だと思うのです。それはそのはるか昔の戦争から変わっていないのではないでしょうか。

私にはイラクの捕虜を裸にして写真を撮ることに何の意義を感じればいいのかわかりません。アメリカ軍又はその中の兵隊がどんな意図を持ってこんなことを下のか理解できません。が、人前で裸にして屈辱的な写真を撮るという事を兵隊が独断でしたのだとしても、その責任は軍隊の上官にあるんじゃないですかね。それこそ、その兵隊さんと管理責任のある現地司令官は銃殺って事でいいんじゃないでしょうか。←ま、銃殺なんかされるはずがありませんけれどね。

統合参謀本部議長が「組織ぐるみでこんなことをする筈がない」と言い訳をしていますが、果たしてどうでしょうね。
「もし虐待をしている兵隊がいるとしたら、それはアメリカらしくないことだ」と言っているみたいですけれど、有色人種を差別しているのはどの国でしょう。そういう国の「差別はない」「虐待はない」は信じられないのですけれど、ただ、この国の報道体制や正義に対する異常な執着はある意味信じたい部分がありますので、今後どんな成り行きになるのか見守っていきたいと思います。


(自己責任とは)

先日、イラクで人質となっていた郡山さんがテレビに生出演していました。番組の意図として、その前に行ったインタビューで擁護派と非擁護派に日本が真っ二つに割れているので、ここで改めて意見を聞きたいなどと立派な事を冒頭に言っていた割には、企画倒れで終わってしまったように思いますけれど、この番組を見て、改めて、郡山さんとその他二人は区別して考えた方がいいのではないかなという気持ちと、今世間で言われている「自己責任」とは何なんだろうという疑問が持ち上がってきました。

私は最初から書いていることですが、戦争などの危険地域で報道活動を続けることを使命と感じたり、名を上げたいと思ったり、その動機はどうでもいいのですが、自分が納得して危険地域にいくのであれば、その手の人は好きに行ったらいいと思っています。ただ、退去勧告を無視していくのだから、当然自分の身の回りに何が起こるかわからない。そういう事を親兄弟にきちんと納得してもらう事。そして、自分の見に何が起こっても受け入れること。私はそれが自己責任だと思っています。
現地で弾に当たって死んでも自分が望んでいったことの結果です。人質になって、政府が要求にこたえず殺されたとしても、それも望んで行った結果です。親兄弟はどんなに説得されていたとしても、やはりその場になれば泣き叫ぶし、無理とは分かっていてもどんな理不尽をしてでも助けてほしいと願うでしょう。でも、それをきちんと説得していたか、自分達がその危険を理解していたかということです。

彼は、自分が死ぬ覚悟はしていたから自己責任は果たしていたと言っていたように思います。しかし、自分が死ぬ覚悟をするだけではなく、きちんと親も説得してほしいし、状況を理解した中で、自分の自己責任の認識が甘かったことを謝罪してほしいとは思いました。もし、彼がまた危険地帯へ報道のために出かけるのであれば、今度こそ、何か会っても自分の責任ですと宣言して出発してほしいものです。

先日も書きましたが、本人が助けは要りませんと言っても政府は救出の努力はするのです。実際に助かるかどうかは分かりませんけれどね。でも、そういう覚悟を宣言するなり遺書でも書いて出かけることで、余計な人たちが騒がなくて済みますからね。本当、変な人たちが反戦だのに論旨を摩り替えて該当で騒ぐのはとても迷惑なことなんですよ。

残りの二人は論外だと私は思っています。
未成年は、自己責任という言葉の意味を理解していないみたいでしたし、自分の考えを理解できない人は愚かな人という感じでしたね。自分が一番で、理解できない奴はどうしようもない人たちだと見下している感じ。見ていて不愉快でした。でもね、マスコミも何の責任も取れない子供に自己責任とはなにかを聞くより、退去勧告の出ている国へ行かせる親の監督責任を問うた方が良いんじゃないかと私は思いましたけど如何なものでしょ。
もう一人の女性も成人だけど無責任ですよね。
あっちに残っていたのだって、自分はこんな状況でもボランティアしているという自己満足ですよね。わが身の危険を顧みずボランティアをしているということに陶酔していただけでしょ。大体が国内で誰にも相手にされないから国外に逃げて、そして国外で自分の相手をしてくれる人を見つけてボランティアごっこをしていただけで、実際には、彼女の方がボランティアされていたんですよね。なんかね、「危険な戦地で」「子供の為に」「ボランティア」なんてキーワードが並ぶとすごい献身的な人だと思うのですけれど、よくよくその活動内容などを見ると、どうも私にはそんな感じに見えるんですよ。
この二人にも自由はあるかもしれませんが、自己責任という言葉の意味をきちんと理解して、その上で自由を得るための義務を果たしてから自由を満喫してほしいものです。

テレビを見ていると、人質になっていた人たちに「こんな騒ぎになっているのにどう責任を取るのか」とか「危険な国へ行く事はなかったんじゃないか」とかそんな話を自己責任で語ろうとしているかのように見えます。
騒いだのは、彼らが人質になったという事実が発端ではありますが、マスコミが煽ったからであり、心無い視野の狭い平和狂信者が自衛隊撤退と便乗して騒いだからであり、人質の親が親の気持ちとして理不尽でも助けてと要求することを垂れ流したマスコミの無責任さに問題があったからではないでしょうか。
もうこのニュースは話題の端に追いやられて忘れ去られそうですが、「自己責任って何?」と、もう一度考えてみては如何でしょうか。


目次(検索)前へ後へHomePage


リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。
mail address
COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010