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☆★CF-W2関連:「分解/HDD交換」 / 「キー清掃」★☆

2004年04月16日(金) VDSL修理完了 / 責任(人質事件)

昨日、あちこち手を尽くしたおかげで、今日朝一番に修理担当者から連絡がありました。

こちらが考えていた通り、MDF(集中制御装置)から私の住処までの電話線を引きなおす事になりました。MDF側を確認したところ、VDSLの集線側装置も異常を示していたそうで、そちらも新しいものに交換となりました。
それにしても、集線側装置が故障していたということは、この集合住宅では昨夜どの世帯でも通信ができなかった筈なのに、私以外のどこからも連絡が無かったんだそうで、皆さんネット依存症ではないと証明されたって事ですかね。いや、何世帯もあるのに、問い合わせが全く無いっていうのは、それはそれで心配なんですけれど....

とりあえず、これで、集線側から端末側まで全ての装置、ラインが一新されましたので、これでもう大丈夫じゃないかなと期待します。(これで駄目だったら、後はどこを治したらいいんだろう....)


責任

昨夜、3人の人質が無事解放されました。
今朝、「ズームイン!!SUPER」で、司会の辛坊治郎が「助かったから言いますけれど、身勝手な正義は時には人の迷惑になることを理解してほしい」と言うようなことを言っていました。全くその通りだと思います。

報道番組で評論家などが「日本が安易に自衛隊を撤退させるなどといわなかったことはとても評価できる」と小泉政権の対応に対して合格点を出していました。私もそう思います。

人質になった人の身内が助けたいと思うのは、身内として当然です。でも、身内の身内を思う気持ちと、国が大多数の国民のために下す決定は必ずしも一致しません。そんな事は当然です。
ある身内は「これはとてもデリケートな問題なのに、政府は意図も簡単に自衛隊は撤退させないと言い切った。こんなでいいのか」と言っていましたが、これがデリケートな問題と思うのは身内の欲目、身内でなければ机上の平和論者の身勝手な平和理論でしかなく、政府はたとえ3人が犠牲になっても自衛隊を撤退させることは無いとはっきり決めていた訳です。そして、それは全く100%正しい判断で疑問の余地はありません。

「民間人なんだから戦争に巻き込まれるのは不当だ」「イラクのために働いているのに」....なんと身勝手でわがままで吐き気のする戯言でしょう。機関銃から発射される弾や飛行機から落とされる爆弾、テロリストの仕掛ける爆弾は、その当たる相手が民間人かどうか判断してはくれないって分からないでしょうか。イラクのために働いているなんてただの自己満足でしかありませんね。
救出された女性は泣きながら「それでもイラクの人は嫌いになれない。また来たいと思う」なんて言っていましたね。家族の方は、もうお願いだから、彼女の首に紐をつけて、家から出さないでほしい。どれだけ迷惑をかけたか全く分かっていないのではないでしょうか。自分のことしか考えられない子供は年齢に関わらず外に出さないで、親兄弟が面倒を見てほしいと切に願います。

「人質のために自衛隊を撤退させろ」と言っておられた方は、戦争にも反対でしょう。人は猿じゃなく、言葉を持っているのだから、話せば分かるというでしょうか。人は言葉を持って文明を持って4,000年の歴史が流れました。集落を作るようになるのが文化だとしたらもっと遥か前ですよね。それでも、戦争はなくなりませんでした。宗教もキリストが生まれて2000年が経過しているのに、キリスト教は今でもアイルランドなどで血生臭いテロを繰り返しています。どこから「話せば分かる」「戦争は野蛮だ」なんて言葉が出てくるのか私には理解できない。野蛮なんじゃなくてこれが不通の状態で、戦争の無い状態の方が、頭の中にしか存在しない「ありえない」世界なんじゃないですか。
もし、「戦争反対」「戦いは野蛮」なんて考えを持つ家族が、どこかの誰かに殺されたとしたら、その人はどんなことを考えるでしょう。当然ながら「私は争うことは嫌いだから、その犯人を許してやってください」なんて言わないでしょう。「犯人にも同じ苦しみを」とか「犯人を極刑に」と言うんじゃないですかね。要は自分は何も動かなくていいから、野次馬として戦争反対を唱えて、「戦争なんて野蛮よ」と言っているだけですよね。あまりにも無責任だと思います。戦争に反対するというのは、そのような「どこかの誰か」があなたの家族を無差別に殺すことをも肯定することにつながるのです。それでも自分はしっかり反対と主張できるというのでなければ、そんな戯言を言わない方がいいと私は考えます。
戦わずに、話し合って解決できるならそれはそれで良い。しかし、それが出来ないとき、黙って殺される方を選ぶか、少しでも抵抗を試みるか。それだけのことなんですけれどねぇ。私は黙って殺されるなんて嫌ですね。武器を持っていてもそれを使う必要はありません。最後の最後の抑止力としてあればいいだけです(使える状態で)。違うんですかねぇ。
机の上で何もせずに「平和」だの「戦争反対」なんて叫ぶのはしゃべれさえすれば蚤にでも言えます。頭なんか何にも要りません。サルのマスターベーションみたいに、一度覚えたら死ぬまで何も考えずにやり続けるなんて愚の骨頂ですよね。一度覚えたことも、時々は周囲を見回して、自分の位置をきちんと確認することはとても大切だと考えます。
ほかの事では、テレビ「ごとき」で偉そうにコメントする奴のいうことなど、話半分に聞いていればいいと思うし、「他の考え方もあるだろうが」と思ったりもするのですけれど、ことこの件に関しては、テレビでのコメント「自衛隊を撤退させるなんて考えは全く持って間違いだ」に対立する意見を持つ人は、自分の視野の狭さを認識してほしいと思いました。

私も世界が平和になればいいと漠然と思います。しかし、戦争の背景には宗教があり、日本では考えられないほど、世界では宗教が生活に密接しています。仏教徒なのにキリストのお祭りをするなんておかしい。そう思う国が多いんですよ。その唯一絶対無二の神様が自分のところにいるのに、他の国では間違った神様を信じている。それはおかしい。そういうことで戦争になるんです。実名を出しますけれど(多分前にも書きましたが)、私も20年ほど前、創価学会の信者である友人が連れてきた、老狂信者に同じことを言われました。「創価学会は、哲学的に証明された唯一正しい宗教なんだから、信じることは幸せなんだよ。キリスト教は間違えている。あんなものを信じている人は不幸せだ」とね。私が「キリスト教を信じている人は、それで安息を得て幸せなんじゃないですか?」と聞くと「いや、哲学的に間違っているんだから幸せにはなれっこない」と言うのです。「では、あなたはそれがどのように証明されたのか分かりますか?」と聞いたって「分かりません。でも証明されているんです」というだけなんですよね。多分、今でも創価学会を信じる人の中にはこんな人が多くいると思います。これがオウム真理教だとかそんな宗教ならまだ話は分かりますけれど、日本で一番信者がいるらしい宗教でさえこれです。日本ですからそれが他宗教の弾圧につながらないのですが、海外ならこんな考えの人が多ければすぐに戦争になってしまうでしょう。
戦争をなくするにはどうしたらいいか。それは人々から宗教を取り上げることでしょう。それは不可能なことです。ですから戦争もなくならない。私はそう思っています。


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