2025年02月20日(木)
つば九郎のこと その2
感情が高ぶり、寝たのか寝てないのか分からなかったが、とにかく朝は来た。
誰かがこの世にいなくなっても、関係なく朝はやってくる。
母が亡くなった翌日の朝も同じことを思った。
出勤すると、同僚が「大丈夫?」と聞いてきた。
同僚は、今日、私は欠勤すると思ったらしい。
大丈夫ではないけれど、家に一人でいるよりは、会社で仕事をしている方が、気が紛れて良い。
昼休みにTwitterを見たら、東海ラジオの村上アナが、昨日のCBCテレビの報道に対し怒りの放送をしていたことがわだいになっていたので、帰宅後、radikoのエリアフリーで聞いてみた。
村上アナは、つばドアラディナーショーや周年イベントの司会を担当していて、つばドアラと親交がある。
ベテランの域に達している彼が、感情をむき出しにして怒っていた。
「実の両親が亡くなった時よりも堪えている」という存在の友のセンシティブな話題を、球団や遺族に相談も無しに中途半端な形で流したこと。
「つば九郎の担当者」という愛情も尊敬も感じられない表現で片付けたこと。
誰かを傷つけることが一番嫌いなつば九郎だったから、だからこそ球団も、この件についてどう伝えるべきかを考えていたのに、そんな関係者の思いを踏みにじって、見切り発車で、中途半端な形で放り出すような放送をしたこと。
大事な親友を失った喪失感ややるせなさ。
大事な友人の思いを同業者に踏みにじられたことの悔しさ、怒り。
魂がこもっていた。
つば九郎の旅立ちの第一報があのSNSではなく、球団が心を込めて考えたプレスリリースだったら。
この私の悲しみは違っていたのだろうか。