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2020年04月02日(木) パンデミック狂想曲第7楽章「コロナ虚構戦争からの逃避」

「パンデミック狂想曲」は本日も尚、留まることを知らず、世界はひたすら出口のない恐慌に向かって墜ち続けている。
特に日本にはこの滑稽かつ狂気に満ちたコロナ禍に有効に対処できる指導者はどこにも居ないようだ。
この国の世襲宰相は困窮する国民に現金給付どころか「マスク2枚」というエイプレルフールの冗談かと思うレベルの対策を表明。
そして専門家会議なるものが「これからはオールジェレネーションで長期戦になる」と宣言。
「長期戦覚悟」
「国民総動員」
「しかし補給はない」
この三つが揃った時点で典型的な死亡フラグ掲揚である。
負け戦の条件が揃った。
にも拘らず、マスコミはそれを事もあろうに好意的に流布。
更に国民の中にはそれを真に受けてありがたかる者も少なくない。
太平洋戦争末期の敗戦間際の世情と同じ。
それを象徴するように「欲しがりません。勝つまでは」という前大戦の愚を象徴するスローガンを皮肉ではなく本気で実践すべきとハッシュタグに掲げる愚者も居る。
ここまでいくと呆れるというより滑稽だ。
無能偽政者、マスコミ、無知臣民が一緒くたなって奈落の底に墜ちて行くのが見えるようだ。

今日もマスコミは東京での感染者が一日100人に近づいたと大騒ぎする。
もう耳がタコになるかのごとく繰り返すが、あの大騒ぎした挙句、破滅的なことが皆無だった2009年の新型インフルエンザは国内で累計900万人が感染したのである。
今更、こんな感染者数を発表したところで、恐慌を招くだけで、もはや何の利益もない。
これも何回も繰り返すが、この期に及んではオーバーシュートもクラスターも意味がない。
水際で防止できなかった時点で感染ルートなどもはやどうでもよいのだ。
今することは、感染拡大はもう防げないのだから、ある程度容認し、集団免疫を作り、持病、高齢者に特化して感染対策するフェーズに移行するのが、最も合理的な方策であることはもう論を待たない。
これも2月の時点から訴えてきた「正論」。
にも拘らず、国、マスコミ、愚民達は相変わらず「感染拒絶原理主義者」のプロパガンダに唆されてひたすら恐怖に駆られて篭ることしか頭にない。
その果ては悲惨な結果しか待っていない。

昨日のブログの繰り返しになるが如何にこの不毛な狂気から距離を置くかが生き残る鍵となる。
この狂った「コロナ虚構戦争」に参加してはいけない。
確実なる「負け戦」なのだから。

コロナウイルスは別に人類に闘いを挑んでいる訳ではない。
悠久なるグローバルなガイアの営みのひとつとしての生命アップデートを人類が勝手に脅威と思い込んで、拒絶アレルギー反応を起こしているに過ぎない。
人類は増えすぎて散々ガイア生命圏のバランスを急激に乱してきた。
その揺り返しとしてホメオスタシスが発動したことで人類の生存権が多少揺らいだとしてもそれは因果応報。
人類に絶滅させられた種など枚挙に暇がない。
文明開化以降、いったい人類は己の繁栄のためにどれほどの種を滅ぼし、環境を激変させたか忘れたのではあるまいな。
それに比べれば、このコロナ禍など論ずるに値しないレベルで済んでいる。
コロナを憎むどころか、むしろガイアの慈悲に感謝すべきだろう。
人類もこのガイアの一部とすれば、この悠久たる生命の連鎖の掟に抗うことは出来ない。

このコロナ禍を収束させる唯一の方策は、コロナとの共生しか道はない。
間違ってもコロナ撲滅なんてことは考えないことだ。
そんなことは不可能だし、仮に実践したらそれこそガイアのバランスを破壊し、人類はこの数千倍もの報復をガイアから被り、石器時代並みの生活へと追いやられるだろう。

今の欧米は一神教だからコロナ撲滅しか能がない。
その果ては中世回帰だ。
しかし、日本は多神教の国。コロナもまた「神」のひとつと悟れば恐れることもない。
黙って受け入れれば自ずと未来が開ける。
欧米のコロナ対策批判など受け入れていたらそれこそ破滅である。
逆にこちらから「コロナを受け入れよ」と発信すべきだ。
実は欧米でも、感染防止よりも集団免疫を作るほうが有益と考える識者も少なからず居る。
しかし、現状の「感染拒絶原理主義者」支配下ではそれが指導者の耳には届かない。

「感染拒絶原理主義者」はかつての文化大革命紅衛兵、ポルポト政権下のクメールルージュと同じであることは論を待たない。
こんな連中が無垢な国民を煽動し、コロナ禍の「虚構戦争」に放り込んで凄惨たる犠牲者を生もうとしている。
この「虚構戦争」ではコロナ感染による犠牲者は殆ど居ない。
大半は人間同士の不信や懐疑から生まれた反目による争いや、その混乱に付随した別の衝突や感染症による犠牲である。
「感染拒絶原理主義者」の口車に乗せられて「参戦」し、励んで検査や隔離病棟に収容されることは確実に「死」を意味する。
前大戦末期のインパール作戦や敵潜がうようよ哨戒する海域に護衛なしで航行する輸送船に鮨詰めにされているのと同じだ。
「感染拒絶原理主義者」がこれから推進するであろう感染検査は、ある意味「徴兵検査」と同じ。
陽性が出たら「召集令状」が渡され、ラーゲリーやゲットーのごとき、隔離施設に放り込まれて無意味な「コロナとの戦争」を強いられる。
だがそれは実はコロナウイルスとの闘いではなく、「感染拒絶原理主義者」のイデオロギーに忠誠を誓う儀式に過ぎない。
それに逆らえば「処刑」だ。
「処刑」を免れるために隔離施設から逃げ出そうとすればマスコミという「督戦隊」から十字砲火を受け、「不謹慎狩り」という落ち武者狩りに追い回され、結局は無残で無意味な死が待っている。

だからこそ、この無意味で邪悪なイデオロギーの犠牲になりたくなければ、「感染拒絶原理主義者」が主導する「虚構戦争」から一切の距離を置くことだ。
まず、検査スポット、病院、隔離施設、そしてその要員から出来るだけ遠ざかる。
決して関わってはいけない。
マスコミも「感染拒絶原理主義者」の手先だから一切その情報は信用してはいけない。
万一、コロナ検査官に見つかって検査を強要させられ、せっかく免疫を有し、病から解放されたのにも拘らず「陽性」が出たというだけで隔離施設に放り込まれたら、確実に「死」が待っている。
だから、生き残るための逃避行が必要だ。
「感染拒絶原理主義者」の支配下では検査拒否は徴兵拒否と同じ。
逃亡することは「犯罪者」とみなされてしまう。
しかしこんな狂ったイデオロギーに殉じたくなくば、逃亡するしかない。
渡された武器はたった2枚のマスク。
戦死率100パーセント。
君がインパール作戦で非業の死を遂げた兵士のように野に屍を晒したくなければ、逃げるしかない。
そして深く静かに潜航して、正しき指導者が現れる日を待つしか生き残る手段はないのだ。


絶望皇太子