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2001年11月08日(木) 結婚を欲しないということは生きる意欲のない人間

少し前、ある民放で「結婚しない若者」と題してそんな20〜40歳代男女を集め、石原慎太郎東京都知事とバトルトークさせる企画の番組があった。
なんだかんだと理由をつけて自分が結婚しない理由を論ずる輩達を見て、これは「結婚しない」のではなく、自分が結婚出来ない「出来損ない」という現実を覆い隠すための自己欺瞞に過ぎないのではないかと疑った。
曰く「自分が育ってきた環境を見て必ずしも結婚が人生の唯一の選択肢ではない」
曰く「お互い自由な時間を束縛したくない」
曰く「同じ価値観を共有出来る異性と出会うのは困難であるから、もしそんな出会いがなければ結婚しなくともよい」
などなどと一見もっともらしいことを述べる。
噴飯モノだったのは「結婚は否定するが子供は欲しいか?」という質問で、出席者のたしか20代の女性だったか「ある外国人男性を好きになって子供まで設けたが男に逃げられ、独りで子供を育てなければいけなくなったが、まだその男性を愛しているから結婚しない」という理由だ。
それは「結婚しない理由」ではなく、自分を妾のように弄んだ外国人男性の真意を計れなかったお前の未熟さと不道徳さに原因があるのだろう?
要するに人間として未熟で出来損ないで生きていても仕方のない生存競争に負けたゴミ人間、役立たずの屑人間が自己正当化するために苦し紛れに吠えているだけのこと。
結婚しない、結婚する意欲のない人間にそもそも生きる権利なんて存在しないのだよ。
人間は有性生殖する哺乳類だ。
その動物としての掟に生きる以上、結婚は必須の通過儀礼だ。
それを避けて生きるなど自己欺瞞も甚だしい。
結婚し、子を設け、子孫繁栄のために活動する事こそ生きている証。
それが出来ない人間はゴミだ。
この國に結婚相手がいないのなら力ずくでも外国から花嫁を連れてくるべきだ。それが日本男子の最低限の生きざまである。
外国人に騙されず、大和撫子として民族の血統を受け継ぐ花嫁としての信念を磨く事。それが日本婦女子としての最低限の身だしなみである。
そんな当たり前のことを忘れ「結婚しなくてもいい」などという自己欺瞞を正当化して生き恥を曝す事こそ言語道断ではないか?
こんな連中に生きる資格はない。
生存する理由のない不具者、片輪同然のゴミ人間は国家の足手まといだ。
石原都知事は原宿に巨大な留置場を作る構想があるそうだが、いっそこのような結婚出来ない不具者のための自殺センターを設けたらいかがか?
結婚出来ずに恥を曝す出来損ないをせめて安楽死させてあげるためにもこのような施設を作るべきだ。それが本当の意味での福祉に繋がるのだ。
また日本の婦女子が外国人の妾として国外に流失するのを避けるためにも必要である。
結婚を欲しないということは生きる意欲のない人間だ。少子化が進む中、そんな人間を国家が養う義務はない。
ゴミは焼却されるのが道理であろう。

結婚を欲しない人間に生きる資格など存在しない。
子を設けようとしない人間は犯罪者である。


絶望皇太子