英語通訳の極道 Contents|<< Prev|Next >>
衝撃的な出会いだった。ジャック・プレヴェールにはじめて出会ったのが、小笠原豊樹訳の「バルバラ」だったのは、運命的というほかない。 高校時代、まだ文学青年の雰囲気に憬れて、甘ったるい詩や短歌などを書いては、ひっそりと机の奥に隠し溜めていた私は、駅前の本屋で偶然、創刊されたばかりの、やなせたかし氏編集の「詩とメルヘン」を手にした。 やなせ氏の詩とイラストは、ちょっとメルヘンチック過ぎる嫌いもあったが、当時、現実逃避願望が強く、小さな幸せが満ちた、ふわふわした想像の世界にどっぷり浸っていた私の心に、強く共鳴した。 また、怪しい輝きを放つ味戸ケイコ氏のイラストには、魂全体を魅了され、絵が下手であるにもかかわらず、鉛筆書きを丁寧に消しゴムで消してまぶしい光を演出する、という手法を真似して、文庫のカバーや授業中のノートに、下手なイラストばかり書いていた。 そんなメルヘンの世界に混じっていたのが、ジャック・プレヴェールの詩のいくつかだ。 わたしはわたし いつでもこんなよこういう出だしではじまる「わたしはわたし」には、まったく今まで知らなかった女性のタイプを、はじめて読んだ。 好きなものには ウィといい「劣等性」には、自分を重ねた。中年夫婦の倦怠を描いた「朝の食事」にも、何故か人生の真実を嗅ぎ取って共感した。 プレヴェールの詩は、心の奥底にある何かを激しく揺さぶった。詩を読んでこれほど感動したのは初めてだった。 なかでも「バルバラ」は、読んだ途端、涙がこぼれ、まるで自分も戦争の悲劇の中に、呆然と立ち尽くしている錯覚さえ覚えた。 ジャック・プレヴェールとはいったい何者なんだろう?ぜひもっと読んでみたい。 それから、彼の詩集を探しあるいて、神戸から大阪まで阪神間の本屋を巡る旅が続いた。 まだ高校生の私はフランス語を知らなかった。勉強している余裕はない。日本人による翻訳を探した。 ところが、詩とメルヘンに掲載されていた小笠原豊樹氏の翻訳本は、どこにも見当たらない。 何軒かを回ってやっと嶋岡晨訳の「プレヴェール愛の詩集」を見つけた。表紙を開けるのももどかしく、「バルバラ」を探す。 思い出してごらん バルバラ「ごらん」? 「しきりに降っていた」? 感動が涌かなかった。同じ詩を読んでいるのに、小笠原豊樹訳を読んだ時に感じた衝撃が、まったくない。力強さが感じられない。 「これは、俺が探し求めていたプレヴェールではない」 また、本屋巡りをはじめた。 やっと、北川冬彦訳が見つかった。現代国語の授業でも名前を聞いたことがある、有名な詩人だ。期待に胸弾ませ、ページをめくる。 思い出しておくれよ バルバラ「思い出して‥‥お、おくれよ?」 失望は隠せなかった。これも違う。俺のプレヴェールではない。 その後、どの本屋を回っても小笠原豊樹に出会わない。 そうこうしているうちに、大学へ入学。ほとんどの級友は第二外国語にドイツ語を選択する中、私はフランス語を選んだ。プレヴェールを、バルバラを、自分の力で読みたい、たったそれだけの理由で。 その後、フランス語でバルバラを読んだかって? 「優」しか出さないという伝説のフランス語教師、仏(ホトケ)のホンダの授業で、人類史上初めて、「不可」をもらう学生となってしまった。 そのホトケのホンダ先生。カッコよくて、ちょっとエッチ。 だって、 なんて、変な冗談言うんだもん (*^_^*) 先生はニヤリと、したり顔。学生は、シーン。みんな引いていた‥‥。 そのホンダ先生、私を哀れんだのか、プレヴェールに関する自分の論文のリプリントと、イヴ・モンタン朗読の「枯葉」のテープをくれた。このテープは、今でも私の宝だ。 その後アメリカに留学した時、ニューヨークに行って真っ先にやったのが、フランス語専門の本屋で、プレヴェールの「パロール」という詩集を買うことだった。 喜び勇んで、朗読する。 ラアペル…トワァ…バールバラ 私の発音のあまりの素晴らしさに、そばにいた女友達が、腹を抱えてひっくり返って笑った。 後日談として、とても残念なことがある。長い留学中家族に預けておいた「詩とメルヘン」創刊号からの数冊。人生でもっとも大切な宝の一つが、消失し行方不明になってしまったのだ。 ああ、青春よ、甘くてべっとり、勘違いの連続だった、俺の青春よ どこで迷子になってしまったの? 文中、小笠原豊樹氏、北川冬彦氏の翻訳は、手元に原本が存在しないため、記憶の中から引用したものです。もし、間違っていればご指摘ください。 また、小笠原豊樹訳の「プレヴェール詩集」、および「詩とメルヘン」の創刊号からの数冊をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひご連絡ください。一体、何十年捜し歩いていることか。
Taro Who?
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