英語通訳の極道 Contents|<< Prev|Next >>
ところで、このコラムを書いている、Taro Who?なる人物。一体何者なのか? そういう背景から、英語やアメリカのことについて尋ねられることが多い。 長くアメリカにいたということで、「帰国子女ですね」と言われることがある。 うーむ、「子女」ではない。アメリカに渡ったのはもう20代になってからだ。言語的にも文化的にも、「子女」になるには遅すぎる。もうしっかり、日本人としての自分ができていた。 帰国「子女」は、12〜3才までの言語能力形成期に、日本以外の国でまとまった時間を過ごした人のことを指す。 しかし、「帰国」組には違いない。実際、多くの帰国子女よりも外国生活は長い。それも、アメリカ文化にどっぷりつかって生活していたという事実を考えると、限りなく帰国子女的要素はある。 そこで私は、独自ジャンルを創設し、自分のことを「帰国オヤジ」と称している。 短期間の旅行・滞在者では、帰国オヤジになれない。もっと深く異文化で根を張って生活する必要がある。 それでも、英語やアメリカ文化はあくまでも、第二言語であり第二文化である。まったくのドメ(国内産)でもなく、英語ネイティブに限りなく近い帰国子女とも違う。帰国オヤジとは、ちょうどその中間くらいの、やや物悲しい存在だ。 ある年齢の大人になってから外国で長く生活し、その後日本に戻って来た人たちは、程度の差こそあれ、私と同じような経験をしているだろう。 ただ、私は中学生の頃から英語が好きで、ラジオ・テレビやテープ、新聞・雑誌などで生の英語によく接していた。 だから、大人になってから外国語を習得した平均的な人たちよりも、少しばかり英語の「勘度」が磨かれていた。 そういう意味では、普通の海外駐在帰りのおじさんたちよりも、多少は自然な英語が身についている。 それでも、やはり帰国子女のようにネイティブ並みにはなりきれない。そういう悲哀も、「オヤジ」という言葉にはこめられている。 帰国オヤジはトンボだ。何でもかんでも複眼を通して見る。 なまじ外からの視点で日本を見る習慣があるので、日本や日本人を観察していて、落胆することも多い。 しかし、精神の根底にはどっしりと日本人の魂が座っている。日本を馬鹿にする外国人を前にすると、まるで明治生まれのサムライのごとく、日本を弁護している自分に気が付く。 どこに行っても気が抜けない。 一方、わが身のおかれた状況を振り返れば、日本では今だに、やれアメリカナイズされているだの、変な日本人だと言われて、落ち込むことも少なくない。 外国に住めば、肌の色が違う、文化が違う、価値感が違うということで、疎外感を感じる。 コウモリの心境がよく分かる。 この落差は、まだあまり日本を知らない若い帰国子女達よりも、二つの文化の狭間で苦悩を重ねてきた、帰国オヤジのほうが大きいだろう。 つまり、私は、どこに行ってもキガヌケズ、日本の心にいつまでもコダワリ、異文化に囲まれてクノウする、 「キ・コ・ク・オヤジ」なのである。
Taro Who?
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