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2003年11月17日(月) |
ある一面だけを見せ付けられて |
すごくね、いい先生でした。 俺が小学校の時の教頭先生。 教頭先生はもうひとりいたけど、その先生なんかより、すごく好きな先生でした。 後で知ったことですが、1年8ヵ月前まで俺が勤めていた会社の常務(現社長にして俺の友人)も小学校の時にその先生に大変世話になっていたのでした。 常務は血友病で子供の頃から体がボロボロ状態。学校に通うのも大変。 だから、教頭先生(その当時は常務の担任)は、毎日そんな常務をおんぶして学校に連れて行ってくれたそうです。毎日、毎日。 担任としては当然かもしれないけど、そう簡単に出来ることではありませんね。 だから、それから11年後に教頭先生となって俺の前に現れた彼は、こんな俺でも「あぁこの人はいい人だな」と思えるオーラを放っていたのでしょうね。
その先生と今日、先生の自宅でお会いしました。 仕事で訪問したのです。契約変更の確認のために。 変更が必要な状態かどうかを確認しました。 間違いなく変更が必要な状態でした。 でも、変更をしてはもらえませんでした。 複雑でした。心が。
思うんです。 もう先生も80歳を間近にしています。 人生の先輩も先輩、そして恩師。 小学生を中学生にするために、幼稚な子供に「人」としての下地を身に付けさせるために、一生懸命の愛をもって尽くしてきたわけです。 だもの、わがままになろうが、決まりごとを理不尽な理由で破ろうが、それでもいいんじゃないか、と。 今まで人のために尽くしてきたんだもの、ここでわがままを言ったところで何の罪があるのかって。 いいんだよ、それで、おそらく。
俺のやっている仕事は、人間の汚い部分、ズルイ部分、弱い部分、愚かな部分、などと毎日のように対峙します。 でもそれは、対している相手のほんの一部分にしかすぎない面なのに、そう分かってはいても、面が強烈であるとその人そのものが悪であると誤認してしまう。 教頭先生の場合は、昔を知っているから、それもとても良い面を知っているから俺の気持ちは平穏でいられたけれど、そうでなかったら…
ここの部分が、俺がこの仕事を続ける気はなくなった大きな理由。 俺もものすごく多面体な人間だから、対する相手とも多面的に付き合える(可能性のある)仕事が出来たら良いと思う。
そんな仕事は辛すぎるのです。 情けないけど。
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