09:30に葬儀屋さんが、枕飾りを整えに来た。
その後、ありゅの県内の親戚(従姉妹、叔母、義兄夫婦)が駆けつけ、ワイの両親は千葉から駆けつけた。
15:30に婆さんをホールへ移し納棺。
(狭い我が家での納棺は厳しいのでホールでの納棺となった。)
ホールには、既に栃木からの親戚5名、東京からの親戚が2名が待っていた。
16:00頃から皆で納棺を終え、18:30からの通夜に備える。
無事お経も終わり、通夜振る舞い。
お泊りの親戚(栃木、東京からの7名)は、22:00頃ホールから50mのホテルへ。
ワイの両親は、22:30頃ホールから徒歩10分ほどのホテルへ。
通夜振る舞いのお手伝いをしてくれた、ありゅのお友達ののらさんが、
仕事で遅くなり、交通手段のないきういを迎えに行き、連れて来てくれた。
23:00にホールに残っていたのは、県内の親戚3名とワイの家族で計6名。
このままホールにお泊り。
絹江の大活躍には少々ビックリ!
ありゅが喪主、ワイが施主という忙しない中で絹江の存在が光っていたように思えた。
ワイ等の目の届かないところを上手い事フォローしてくれている。
婆さんと仲が良かっただけに、思い入れも相当あったはず。
彼方此方を駆けずり回るワイ等にとって、とても頼りになる娘であった。
ワイの名古屋の爺さんが亡くなった時、ワイは一晩中眠らなかったけどな・・・
現代人のワイ等は・・・婆さんと一緒の部屋で告別式に備えて02:00には、床に就きました。
我が家族にとって、もっとも長い一日であった・・・
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