■ ヘッド・フォンから石田彰
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|| 2004年02月20日(金) ちょっとイタイ話 ||


■実家の朝は早い。亭主の実家も早かったが、私の実家は更に早い。なんたって、八百屋だから。

弟は、朝3時には起きて出て行く。午前3時を、果たして朝と言っていいのかどうかは未だに謎。いいの、私には関係ないから。←八百屋の娘とは思えない発言

私は6時半に起床。予約していた病院へ向かう。

以下、ちょっと痛い部分があるので、苦手な方は読まない方向で、すみません。

■年に2回、私は病院へ行く。私にとって、自覚症状のまったくない「それ」は、病気とも言えない、正直、鬱陶しいだけの存在であるのだが、先生がどうしても通え!と言うので、年に2回、その約束を果たしている。
「それ」が偶然見つかったのは、約2年ほど前。腫瘍、と言うらしい。腫瘍、などというと、仰々しい響きがあるが、そんなに大したものではない。私の場合、良性であるゆえ、命に係わるようなものではない。
ただ、その「場所」が問題であった。
最初に見つかった個人医院から数え、今通っている病院は4箇所目だ。そのいずれでも「手術必須」と言われた。直径にしたら、ほんの2センチ弱の「それ」を切除するため、全身麻酔であるらしい。2〜3週間の入院を要する、これは、どこでも同じことを言われた。ただ、その方法が厄介であり。その腫瘍が巣食う部分を、骨ごと落とす(切断する)というもので。

ってことはさ、落とした骨の代わりに「なんか」を入れるんでしょ?よくわかんないけど。でもって、麻痺が残るとか言われても・・ねえ?

そんな手術は嫌です。←ちょっとしたわがまま

で、セカンドオピニオンならぬ、何度目かで、
「じゃあ、骨は落とさずに、削るくらいで勘弁してやらあ」
と言ってくれた先生に、ようやくめぐり合った。神に見えました。正直言えば、泣きました。

でも、手術は嫌なんです。←どこまでもわがまま

そんなわけで、私の「それ」を長い目で見守っていくと言う方向で、お互いの意見が無理やり一致。ちょっとでも変化があれば切るからな、そう脅されつつ、通っているわけです。
その「見守る」方法だけれど、造影剤にアレルギーがある私は、造影剤を打ちながらのCTは無理。閉所恐怖症であるゆえ、MRIも無理。(実話)
造影剤無しのCTだけで判断してくれ、という、私が医者なら絶対に診察拒否したい患者ナンバーワンであり。でも、やっぱりそれだけでは物足りない先生は、年に1回、その部分を切開して組織を採り、検査をすることに。
局部麻酔なので、効き目が切れたらそのたび麻酔を打ち打ち、組織を採る。大体1時間くらいの検査だ。これが結構痛い。しかも切開後、7日間くらいはひどく痛む。だって、検査とは言え、メスを入れる以上、麻酔が切れたら痛いのは当たり前なわけで、それは術後と変わりないだろう。そんなくらいなら手術しちゃえば?と思うかもしれないが、切除後に麻痺が残ることは避けられない、ということが、未だに私を往生際でじたばたさせている。

「う〜ん・・微妙だなあ・・・」
と、パノラマを眺めながらつぶやく先生の言葉に、冗談抜きでドキドキする。ちょっと時間くれる?という先生の前で、思い切りへこんで見せる。
待っている間も、どうせ死ぬわけじゃないしーあははー、いやいやいや、絶対に嫌、絶対に嫌、絶対に嫌・・と、躁と鬱が交錯する。

「ほかの先生たちとも話し合ったんだけどねえ・・・」
ゴクリ
「うん、まあ・・今回はいいや。今度いつ来れんの?次は切開しようね。来るとき、ちょっと早めに連絡ちょうだいよ。」
溜めていた息を思い切り吐いた瞬間、診察室のあちこちから、短い拍手が起こった。一番近くにいた看護婦さんが、「よかったねー」と、私の肩を軽く叩いた。初めてこの病院を訪れたとき、ボロボロ泣きながら診断結果を聞いていた私が、もらい泣きさせてしまった年配の看護婦さんだ。いつもお騒がせしてすみません・・

なにが痛いって、私の往生際の悪さが、一番痛い、ま、そういう話。


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