俺が大学の野球部に入っている、という設定の夢を見た。 何故か、メンバーは中学時代の野球部の奴ら。 俺はファーストを守っている。 運動神経が無いながらも、真面目にこなしているので何とか来年からは俺もレギュラーになれそうだな、とか思ってた。 上級生が卒業すれば、ちょうど部員も9人きっかりになるし、と。 ある日、いつものように俺がファーストを守っていると、俺の左側、ファールラインの向こう側で俺と同じようにファーストミットを構えている部員を見つける。 俺はその部員に「ファーストは俺のはずだけど」と言う。 すると、その部員は「俺がファーストする事にしたから」と言う。 「する事になったから」ではなく、「する事にしたから」と。 そいつは、1年の時点で「しんどいから」と言って早々に自主退部して消えていった奴だった。しかし、運動神経だけは俺より数倍上だった。 現在、守備についている人間は10人。必然的に、1人消えなければならない。 その他の部員達も、まるで俺がその場に最初から居なかったかのように、さも当然のようにそいつにだけボールを寄こす。 「あ〜、はいはい。戦力外通告な」みたいな気持ちで、俺はグラウンドを出る。 試合が終わった後に、俺はそいつに詰め寄った。 「俺も実力不足は自覚してるから、ちゃんとした手順を踏んで除外されたなら文句はない。だけど、何で『俺がする事にしたから』とかさも当然のように割り込んできてポジション奪うような真似してんだよ?いやらしい卑怯な真似してんじゃねえ!!!」とブチギレた。 しかし、そいつは逆ギレ。 他の部員達も、寄ってたかって俺の方がおかしな事を言ってるような空気を作って、俺の事を貶める。 「人間なんてこんなもんだ」と思った。 そんな感じの夢を見た。 寝起きから、 俺が中学2年の時まで監督をしていた教師が他の中学に転勤する事になり、その監督が指示する最後の試合の日の事を思い出した。 その監督は「今日は全員試合に出すから」と言った。 しかし、俺一人だけは試合に出してもらえなかった。 俺が一番下手だったからだ。 その監督は試合が終わった後、俺に「○○(俺の名前)、すまんかったな」みたいな事を言ったけど、俺は『予想はしてた。どうでもいい』と、半ばうんざりしたような気持ちだった。 入部してしまった以上辞めるに辞められなかっただけで、野球にそこまで執着が無いのは事実だったし、周りの奴らの事も大嫌いだったし。 今日は、午前5時過ぎに目が醒めた。 親父がトイレに行く音で起きてしまった。
寝起き後しばらくすると、また例の獣姦させられた男の子の事が浮かんで気持ちが沈んだ。同時に、あの子がそういう目に遭わされていたという事に対するショックも。 また、欝な気持ちになって苦しくなった。 C君は死んでしまった。 だけれど、俺にとってはやはり、「タイプの少年の死」よりも、「タイプの少年がそういう目に遭わされる」という事の方がこたえるようだ。 C君の死を聞かされた今でも、そちらの方を引きずってしまう。
通学中、電車に乗っていた時の事。 電車が学校の最寄り駅に到着したので、俺は席を立って降りようとする。 降りようとしたその時、俺の隣の隣くらいの場所に座っていた50過ぎくらいのジジイが、俺の事をジーっと睨みつけている事に気づいた。 俺は、何も悪い事はしていない。 ただ、大人しく電車に乗って座っていただけ。 また、このジジイの隣に座っていた訳でもないので、ジジイにぶつかったとかそういった類の迷惑すらもかけていない。 俺がこのジジイに睨みつけられる筋合いみたいなものはどこにも無い。 なのに、このジジイは俺の事を睨み続ける。謂れが無いのに睨まれる。 出口に向かって歩きながら、俺もジジイの事を見下ろし続ける。 眉間に皺を寄せたジジイの目線は、そのまま俺の事を追い続けている。 たとえチラ見であっても、俺は他人に目線を向けられる事が大嫌いだ。 何の関わりも無い人間に目線を向けるという事は、俺の中では「失礼極まりない事」として定義されてる。 見られるだけでイラっとくるのだ。 であるにも関わらず、ここまであからさまに睨まれて。 キレそうになる。 こんな事は別に今日に限った事ではないけど。 オッサンとかジジイの中には、意味なく俺の事を睨みつけてくる奴が非常に多い。それは、俺が如何にも大人しそうだから。 そんな大人しそうな人間ならば、自身が危険に晒される事なく、一方的に礼を欠いた態度を向けてDQN精神を満たせるだろう、とタカをくくっているのだろう。 見ず知らずの他人に向けて、傲慢な態度で自身の自己中心性を発揮してみせる事で、自分がつわものにでもなったかのような錯覚を求めたがる中年野郎は非常に多い。 いい歳をこいたオッサンが、そんな糞くだらない錯覚を求め、意識的に無抵抗そうな人間を選別し、確固たる理由も持たずに動物みたいな威嚇行為を向けてくるのだ。 飲食店等でやたらと横柄な態度を見せる中年客とかもそういう心理。 俺にはそういう奴らの意図するところが瞬間的に見えるので、そのいやらしさだの何だのにはらわたが煮えくり返ってしょうがなかった。 今日の授業は1時限目から4時限目まで。 俺は2時限目の途中から出席した。 2時限目の授業は「西洋美術史」 授業中も、通学中のガン付けジジイのせいでずっとイライラムカムカしてたまらなかった。 授業の最後に、レポート課題を出された。 授業が終わり、昼休みになる。 今日は弁当ではなく、学食で昼食をとった。 昼食を食べ終えた俺は、大学生協に向かい、そこでスケッチブックを買った。 スケッチブックは1000円ちょっとで買えた。 暇があれば、またデッサンの練習でもしてみようと思ったからだ。 昼休みが終わり、3時限目になった。 3.4時限目は「彫刻」だ。 彫刻の教室に行き、俺は粘土の用意をし始めた。 すると、先生から「今日は掃除」と言われた。 どうやら、先週が最後の実技授業だったようだ。 先週、先々週と俺は授業をサボってる。 ちゃんと出ておけば良かったな・・ 今日は教室の大掃除。 教室といっても、巨大なアトリエみたいな場所で、大小様々なものがかなり乱雑に散らばっている。 2時間以上の掃除活動に、本当にクタクタになった。 掃除が終わり、俺は図書館に向かう。 そこで「プリズン・ブレイク」の続きを観た。 今回の話は、かなり胸糞が悪くなるような内容だった。 このドラマの主要キャラクターの中に、少年を犯して殺して投獄されたショタコン野郎が居るのだが、そいつは監獄内でも小柄な若者を性欲処理の囲いものみたいにしている。 その若者がそいつに囲われる事になったのは、他の囚人達が、監獄内でちょっとした権力を持っているそのショタコン野郎に対し「プレゼント」と称してその若者を紹介した事が原因だ。 その囲われている若者は主人公に助けを求めるのだが、「面倒は御免だ」とばかりに主人公はスルーする。 その後、その若者は自殺してしまう。 性欲処理の為にその若者を自殺するまで追い込みながらも、そのショタコン野郎はヘラヘラしながら次のターゲットを見つけて喜んでいる。 これが現実なんだと、俺はとても嫌な気持ちになった。 「プリズン・ブレイク」を2話分観てから、俺は学校を後にした。 学校帰りにスターバックスに寄り、またコーヒーを飲みながら小説を読んでいた。 ウォークマンで雑音は遮断出来たけど、相変わらず自分の横や後ろを慌ただしく行きかう人間達が目障りだった。 俺の向かい側に座っている偉そうなオッサンが、ジーっと俺の事を睨んできたのもムカついた。 またまたここでも威嚇行為だ。 下らない奴の下らなさにムカついた。 その時点でそいつに対して全く何の責も持たないはずの見ず知らずの人間(俺)に対し、自身の矮小なナルシズムを満たすために相手に不快感を与えても構わないといったそいつの持つ自己中心性。 糞だな。 本当に、俺は人間が大嫌いだ。 コーヒーは好きだけど、こういう店も午前中とか落ち着いた時間でなければ、俺にとっては逆にストレスを溜め込む結果にしかならないんだな、と思った。 コーヒーを飲み終えたので、俺は店を出て家に帰った。 家に帰った後、また例の獣姦させられた男の子や高校時代ずっと猥褻行為を受け続けてきたE君の事が頭に浮かんで苦しくなった。 獣姦させられた男の子に性的暴行を加え続けた主犯格の奴には彼女が居るらしい。 そいつは、自分がその男の子に対して猥褻行為を働いている事を周囲に隠しているような風ではなかった。 なら、当然その彼女もそれを知っているはずだ。 その彼女は、それを知りながらもそいつの事を好きでいるのだ、とか考えて、また気分が悪くなった。 そいつの彼女は、被害者であるその男の子に嫉妬を感じたりしたのだろうか。そして、その嫉妬からあろう事かその被害者の男の子に対して「もっと苦しめばいい」なんて感情を持ったりしたのだろうか。 そんな事を想像してしまって、どんどん苦しくなっていく。 その男の子がそいつに猥褻されている事を知っている周りの奴ら。 笑いながら見ている奴も居れば、我関せずとスルーしている奴も居る。 誰もその子を助けない。 そいつらはこれこれこういう冷淡な意識を持って、その子がそいつにやられている事を知りながらも放置しているのだ、とか。 色々な事を想像してしまい、更に苦しくなっていく。 息が切れる。 ハッ…ハッ…ハッ…ハッ…と、しばらく胸を押さえてうずくまってた。 あまりに現実が腐ってる。 現在午後21時40分。 眠さで意識がまどろんできたので、少ししたら横になろう。 日記を書きながらも、頭はボケボケになっているので、今日もまた文章にまとまりが無いかもしれない。 そういえば、俺が嬉しくて笑えた事なんて、今まで一度でもあったかな。 記憶に無い。記憶に無いだけで実際はあったのかもしれないけど。 でも、この先心の底から喜べる事なんて、もう多分一生無いんだろうな。
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