リュカの日記

2006年12月06日(水)

昨日の午後22時過ぎに眠りについて、今日の午前0時頃に1度目が醒めた。
その後二度寝してしまい、最終的に今日は午前3時頃に目が醒めた。
5時間くらい眠っていたのか。まだ疲れが残ってる。

現在午前7時26分。
23歳の終わり頃から、学校への登下校時にちょこちょこ読んでた「平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学」を読み終えた。
俺自身にとっても当てはまりそうな、とても耳が痛くなるような内容も多分に含まれていて(例えば、『邪悪な人間は、心の葛藤を拒絶する』『罪悪感を感じる事を拒絶し、自分以外の邪悪な人間を批判する事により自分自身の持つ邪悪さに対する責任を転嫁する』『他人をスケープゴートにする傾向にある』等)、「もしかしたら、俺自身も邪悪な人間として定義されるんじゃなかろうか」という気持ちにさせられもした。色々考えさせられたと思う。
もっとも、必ずしも著者による価値基準全てに共感を覚えたか、と言われれば「ノー」だけど。
俺自身が本質的にとてもいやらしく、卑俗な人間であったとしても、
やはり俺は下衆でいやらしく、邪悪な人間に対して許せない気持ちが強いので、批判してやらなければ気が済まないとか、そういう部分で。
色々と感じるものは多かったけど、誕生日前後の時期から、俺は自分が感じる事を自分の中で言語化するという作業に対して、怠惰になる事に慣れが生じてしまってる。
だから、あまり突き詰めてそれら感じた事をまとめようとする気が沸かない。
『今は心を休めているんだ』と、自分自身に言い訳してみる。
何か、やたらとまどろっこしい文章になってしまった。
読むにしろ書くにしろ、分かりにくい文章は大嫌いなんだけどな。

タイプの男の子が意識されてて、鬱々とした気分が続いていた。
GyaOで、映画「非常戦闘区域」を観た。
戦争映画だ。
映画を観ながら、ボーっと考え事をしていた。
勉強であれ、趣味の延長であれ、何かを『学ぶ』『知識を付ける』『吸収する』という事は、現代人に対して非常に推奨されてる事だ。
それは、昔々から俺自身にも課せられてきた事であり、俺が本を読んだり映画を観たりする背景にも、意識的であれ無意識的であれ、少なからず何か生産的なものを求めている部分があると思う。
「何かを学び吸収したい」という意識は誰の中にも当然のように根付いているものだろうし、俺自身も常に何かを学ぼうとしている部分があるのだが、
それらの知識や勉強は、決して自分の精神を豊かにしてくれるという訳ではありえない。
そんな事を考えてしまい、何だかとても虚しくなった。
自己実現の欲求を感じるまでに人格が発展し得ない俺にとっては、何かを色々学んだところで、精神的な平安を得る手助けにはならないんだ・・、と。俺は勉強なんてする意味無いじゃん、とか。

今日の授業は2時限目から5時限目まで。
俺は2時限目の途中から出席した。
2時限目の授業は「西洋史概説」
2時限目が終わり、昼休みになった。
久しぶりに学食で昼食をとった。Bランチを食べた。美味しかった。
3時限目は「日本史特講」
この授業は、古代の備蓄はどうだったとか税はどうだったかを教える授業で、興味が持てず、あまり真剣に授業に取り組む事が出来ない。
4時限目は「GIS演習」
この授業は普通に受けた。
5時限目は「フランス語」
この授業も普通に受けた。今日は少しだけ授業内容を理解出来た気がする。
5時限目の授業を終えて、俺は家に帰ってきた。
現在午後20時15分。
気持ちが鬱々としていて、息が詰まってとても苦しい。
本当に苦しい。


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リュカ

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