わたしがトイレの花子さんに出会ったのは 中学校本館4階の右から2番目のトイレの中だった。
ドアをあけたとき、わたしは心底ぎょっとした。 女の子が便器にまたがりしくしく泣いていたからである。 その泣き声は頭のてっぺんからつま先まで ぞわりと鳥肌が立つような、奇妙な声だったし その涙はどぶ色だった。
わたしは(あぁ、いやだなぁ)と静かに個室から出ようと試みたのだが無駄だった。 彼女が顔を上げこちらを見たため思い切り目が合ってしまったのである。
彼女はどぶ色の涙を目にたっぷりとこびりつかせたまま こちらを凝視していた。わたしは潔く逃げようかと思ったが たとえ相手が誰であろうとも泣いている人(人?)を放っていくなんて 人間としてどうかと思ったのでぎこちなく笑顔を浮かべて見せた。
「どうして泣いてるの?」
とわたしが聞くと花子さんは少し驚いた表情を浮かべた。 驚いた拍子に鼻からどぶ色の何かが流れ落ちたが見なかったことにした。
「…みんながわたしばかり嫌うのよ。ひどいわ。」 「わかるように、ゆっくりと説明して?」 「いいわ。」
花子さんの話は長くなりそうだった。 花子さんの話をよくよく聞くと、花子さんは幽霊ではなく トイレに住むトイレの守り神なのだとわかった。 わたしはトイレの妖精のようなものだと自分に思い聞かせた。 花子さんの言い分によると、みんなが掃除してくれないのが悲しいのだということらしい。
わたしは、掃除をしようとするたびに トイレから赤い血が流れたり、髪の毛が大量に落ちていたり 夜な夜な泣き声が聞こえるから誰も近寄らなくなったんだよと言いたかったが 花子さんのどぶ色の涙をこれ以上増やしたくなかったので言わなかった。
仕方なくわたしはひとつの提案をすることになる。
「わたしが掃除してあげる。だから泣かないで。」
花子さんは驚いてうれしそうに顔を真っ赤に染めて抱きついてきた。 ぬらぬらとした髪の毛がなんともいえない感触だったが わたしは素直に抱きしめられた。
トイレの掃除は大変だった。 わたしがタワシで擦るたびに「こそばい!」と叫んでは便器に血を垂れ流したり 大量の髪の毛をつまらせたりしてわたしを困らせた。 上から大量にトイレットペーパーが降ってきて 間一髪避けたところを「もっと遊ぼう」といわれたこともある。 けれどわたしは諦めなかった。 トイレに詰まった髪の毛を抜き取り こびりついた血を拭きあげ 粘ついたどぶ色の液体も(たぶん花子さんの涙だろう)丁寧に拭い続けた。
そのかいあって、トイレはぴかぴかになった。 花子さんはうれしそうに微笑んでいた。
「ありがとう、ありがとう。」 「これくらいどうってことないわ。」 「またいつでも来て。あなたなら大歓迎だわ。」
花子さんはにこにことそう言ったが わたしは花子さんの視線を感じながら用を足すことなんて お断りだったので、何も答えずただにっこりと笑った。
ようやく肩の荷が下りたわたしはふぅとため息をついて トイレから出ると大きく伸びをした。 すると、突然後ろからとんとんと肩をたたかれたので振り向くと そこには見知らぬ男の子。
困ったことにどぶ色の涙を浮かべていた。
「やぁ。花子さんのことは知ってるよ。じつは僕も困ってるんだ。」
トイレの太郎くんだ。 わたしは瞬時に理解して(あぁ、困ったなぁ)と心の中で大きくため息をついた。
困ったことに、 それから長い間わたしたちの関係は続いていくことになる。
後編へ続く。
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