「あ」
スカートの両ポケットに両手を突っ込んで そのとき初めてポケットの底が破れていたことに気がついた。
しまった。ポケットには大切なものをたくさんいれておいたのに。 わたしは愕然としてしまう。
たとえば 大好きな恋人から囁かれた愛の言葉だったり ずぅっと前に好きだった人から貰った言葉だったり (ときには悲しい言葉だってあった。) 大切な友人と呼べる人と過ごした楽しい時間だったり 怒ると怖いけれど優しいママのぬくもりだったり 無口なパパの時折見せる優しさだったり
そういう、数え切れないほどの大切なものを ポケットに隠していたのに。
わたしは慌てて、来た道を戻ろうとした。 が、振り向いた瞬間驚いてしまった。 さっきまで何もなかったはずの道が、緑や花であふれている。
「?」
不思議に思って、木のそばにたってまじまじと見つめた。 優しい緑、ざわざわ揺れる葉っぱ。橙色の花びら。 幹に耳をつけると水の音が聞こえてくる。 生きている。
わたしはその橙色の花を咲かせた木に、なぜか友人の姿を思い浮かべた。
そのすぐそばには赤い実をつけた小さな木が生えている。 摘んで一口食べてみると酸っぱく、少しだけ甘かった。
(あぁ。これは。まさか。)
わたしは、昔好きだった人に寄せていた自分の気持ちを思い出す。 苦しく悲しく優しく、甘かったあの恋。
不思議なことにそこら中に咲いている花々は ポケットの中に隠していた大切なものを思い浮かばせた。 なぜだか、わたしの心は出来上がったばかりの焼き芋のようにほくほくと湯気をたてていた。
わたしはふと思いついて 上着の胸ポケットに残っていた 昨日触れた恋人の手のぬくもりを取り出すと そっと大地に蒔いてみた。
わたしの蒔いたそれは、あっという間に芽を出すと 大地に根っこを伸ばし、ぐんぐんと大きくなり 緑の葉っぱをちらつかせバニラ色のつぼみをつけてみせた。
そして最後に、ぱちんと音を立てて バニラ色の小さな花をさかせた。 ほんのり桃色の混ざった、とてもいい香りのする花を。
その花を見つめるとやっぱりわたしの心はほくほくと温まった。 わたしは、多分とても幸せそうに、にっこりと笑った。
ポケットの中は、空っぽになってしまった。 けれどわたしは少しも悲しいなどと思わなかった。 そしてこの道を大切な人と歩けたら わたしの心はもっとほくほくになるだろう。
(帰ったら、ママにポケットを直してもらわなくちゃ。)
すっかり茹ってしまって桃色になった頬を 笑みの形に上げて わたしは大切な人が待っている家へと歩き始めた。
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