ゆりあの闘病日記〜PD発症から現在まで〜

 

 

薬物療法 - 1996年01月22日(月)

そんなことやこんなことを少しずつ整理しながら、2ヶ月に1回の割合で病院へ通った。発作は薬を飲めば一応落ち着くけど、頻繁に起こるのには変わりなかった。会社の人にバレないように、発作が起こりそうになるとそっと席を立ってベランダに出たり、移動中の電車の中でトイレに行くふりをして途中下車したり、何とか凌いで過ごしていた。
病院では診察のたびに、主な発作の症状や回数、そのときの状況、回復までの時間などを高野先生に質問されて答える。そして薬を貰って帰る。

先生のところに通院し始めてもうすぐ1年経とうとする頃、先生は強く首を振って言った。
「これは1年や2年で治るタイプじゃないね。根が深すぎる。薬を変えよう」
溜息をついて先生は続けた。
「貴女はね、よくいるタイプの患者さんとは違う。辛さが表に出ないの。とてもしっかりしてるし、自分を客観的に冷静に判断できてるように見える。普通かそれ以上に仕事も人付き合いもしっかりこなしてる。でもね、そういうのが一番治りにくいタイプなのよ。簡単に言えば『我慢しすぎ』なの。それも無意識に。辛い時に辛い悲しいってワーワー泣く人とか、痛いときに痛いって大袈裟にでも叫ぶ人は、こんな風にはこじれないの」

確かに待合室で待ってるとやってくる患者さんは、視線が落ち着かないおばさんとか、年老いたお母さんに付き添われてやってくるサラリーマン風の40代らしき男性とか。私とは違うタイプに見えた。

先生は電話を取って、どこかに何かの電話をかけた。聞いたこともない横文字らしい言葉が続く。電話を切ると、先生は私に向き直った。
「今日から飲む薬は新薬で、即効性のあるとても強い薬だから発作には効くと思う。その代わり副作用が激しい。もしかすると仕事に支障をきたすかもしれない。それから貴女の場合、完治までは10年か、もしかしたらそれ以上かかるかもしれない。強い薬に替えても完全に治る保障はない。どういう治療を選ぶかは自分で決めなさい」
私は5秒だけ考えた。そして答えた。
「新しい薬を飲みます。仕事も続けます。一生病気と付き合う覚悟で頑張ります」
高野先生は頷いた。そしてちょっと笑って言った。
「頑張りすぎちゃダメなのよ!」

その日から私の会社人生は大きく変わっていった。

処方薬 : セパゾン・トフラニール・ロプレゾール

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