ゆりあの闘病日記〜PD発症から現在まで〜

 

 

副作用とマンション - 1997年03月18日(火)

セパゾンの効き目は抜群だった。これまでの薬は、発作をやわらげることは出来ても完全に抑え込むことは出来なかった。これを飲むと起こりかけた発作がピタリと止まる。しかし発作自体が起こらないわけはないのだから、起こりそうになる度にとにかく飲む。
ロプレゾールは狭心症の発作止めにも使われる薬。発作が動悸に出やすい私は、安定剤や抗鬱剤だけではダメで、こうしたベータブロッカーといわれる薬が必要になる。
それだけの薬を飲んでいると副作用も絶大だった。始めの半年は吐き気と眩暈の繰り返し。肩こりもどんどん増幅していく。そして何よりとにかく眠い。いつもボーっとして脳細胞の働きが緩慢になる。後で聞くところによると、この薬を飲むレベルに達している場合、大概は会社を休職して自宅療養してるのが普通なんだそうだ。
この状態でも会社を休むわけにはいかない。私は一人で食べていかなければならないのだから。

まず最初に、徹夜仕事が出来なくなった。これは致命傷だ。そして以前にも増して会社を休む回数が増え始めた。そうして同期のトップを走っていた私は、徐々に落ちこぼれへの道を歩き始めたのだ。一人、また一人と追い抜かれていった。
何故と上司に聞かれても、理由を説明できるはずもない。ただ、申し訳ありません、頑張ります、と言うしかなかった。仕事が一番の生きがいである私にとって、辞めさせられるくらいなら、落ちこぼれてもいいから仕事だけはどうしても続けていたかったのだ。

心配したレミコが一緒に暮らそうと言ってくれた。家で一人で倒れてのた打ち回ってるところを発見されてしまったのだ。2年間の約束で、所沢の3DKのアパートに引っ越すことになった。
その家でも何度か発作を起こして倒れたけれど、レミコは最初に倒れた時に居合わせたこともあって、薬を口に押し込んで水を飲ませてくれたり、何かのハーブが神経に効くと聞いては、それを使った料理を作ってくれた。
何と言っても家に独りでないというだけで何となく心強かった。
2年間、時には軽い喧嘩もしたけれど(かなりくだらない内容ばかりだった...笑)毎日とても楽しかった。
身体の具合も、薬さえ切らさなければなんとか日常生活は保てた。会社での出世は望めなかったけれど。

しかし、いつまでも甘えてる訳にはいかない。レミコにだって将来があるんだし。二人で暮らしてるんじゃ、彼氏だって呼べないだろうし。私はもう男の人なんてコリゴリだったけど(笑)
そこで決意した。マンションを買おうと。このまま2年が過ぎると人のいいレミコは続けて住もうと言ってくれるだろう。それに甘えない状況を自分で作らなければいけない。なけなしの貯金をはたいて頭金にして、35年ローンでワンルームマンションを買った。レミコは「ホントに大丈夫なの?」といいながら何度も内覧会に立ち会ったり、不動産屋に喰らいついたり、物知らずな私を助けてくれた。

これで後戻りは出来なくなった。彼女に甘えるのはここまで。病気のことも随分解ってきた。独りで歩いていかなければ。

-



 

 

 

INDEX

古い日記 新しい日記