原因−遺伝的要素 - 1995年04月02日(日) 父はオペラ歌手だった。確か40歳を過ぎた頃までは。 華やかな舞台の上で華やかな衣装を身に纏い、朗々と歌い上げていた父の姿を今でも覚えている。 昔から皆の人気者で、父が行くところはどこでも人だかりが出来ていた。 そんな人々にジョークを交えながら笑顔で応対する父。 周囲から「ハンサムで楽しいお父上で幸せねえ」とよく言われたものだ。 しかし家の中では別人格だった。 典型的な「卓袱台をひっくり返す父親」。理由は何でもありだ。ご飯が柔らかすぎるとか、私に愛想がないとか、母親が気が利かないとか。 要するに単なる癇癪持ちだ。 典型的な二面性をもつ父。父方の家系は皆そうだ。 いつもピリピリして伯母にあたる伯父。怖くて近寄れなかった祖父。 共通点は「外面の良さ」だ。 親戚の中には、頭が良すぎてネジが巻き切れてしまって、遂に鉄格子のある病院の個室に入ったまま出てこなかった人もいた。 そんな人気者の父が40代の半ばに表舞台から降りることになった。 20代から患っていた自律神経失調の悪化で、ソロ歌手として舞台に立つことが出来なくなったのだ。 主役を張るどころではない極度の眩暈、頭痛、吐き気。舞台上では致命傷だ。 確か最後に観た舞台は「青い鳥」のチルチルだった。 でも一番印象に残っているのは「ローエングリン」だ。 いつも王道を歩いてきた父にとってはショックだったと思う。 以降は、合唱団のソリストとして地味ながらも60代半ばを過ぎた今も歌い続けている。 小さい頃から父が癇癪を起こすたびに、殴られ役はいつも私だった。 コントのように部屋の隅まで吹っ飛んだりした。はずみで割れたガラスで妹が大怪我をしたこともあった。 しかし不思議と父には恨みも怒りもない。未だに大好きな仲良しの父親だ。 きっと自分の中にも同じ素質があるからなのだろう。 さすがに全盛期の容色は残っていないが、一緒に街へ出かけるとちょっと自慢だし、最近ハマッてる音楽について情報交換したりするのも楽しい。 そして今でもよく効く安定剤や抗鬱剤の情報を交換し合ったり、神経疲労の悩みを語り合ったりする。 この人こそは我が父であると今更ながらに実感する。神経症という同体験を通して。 -
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