2003年08月02日(土) |
愛されているという実感と同じくらい |
今まで私が寺島に、「愛してる」と言えなかったのは、 寺島への気持ちが足りないのではなく、 寺島への理解が足りないからだった。 そういう意味では、私もあの彼女らと変わらない。
「愛する」ということは…相手を理解すること、信じること。 頭でわかっていたのだけど、 寺島の気持ちを理解するということは、私を好き、という気持ちを理解するということ。 自分を嫌いな私には…難しかった。 逃げていた。 もちろんそれだけが寺島なわけはなく、寺島の他の部分も見てきたけど、 この1年で理解してきたつもりで、実は全然できてなかった。
寺島はどれだけ私のこと思ってくれてるんだろうって気づいたとき、 やっと…寺島の私への気持ちも理解できた気がした。 別れて…寺島の他の部分を改めて確認して、 寺島の私への気持ちもそれらと同じ、寺島の一部なんだとわかった。 今は霧が晴れたように、今までの寺島も、 今現在の寺島も理解できる。 信じられる。
愛されているという実感と同じくらい、寺島を愛してるという気持ちでいっぱい。 あんなに悩んでいたのに不思議だけれど、 理解をするということを知らなかったのだから当たり前だ。 やっぱり私は、自分のことしか見ていなかった。
よし。頑張ろう。
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