風太郎ワールド
寝たきりの叔母に会うために母が故郷の鹿児島に帰ることになった。せっかくだから帰りに指宿の温泉でゆっくりしておいでという話をしながら、突然遠い昔の思い出が蘇ってきた。
高校の修学旅行。九州周遊だった。
神戸三宮駅から夜行列車に乗り、一晩のんびりと揺られて行く。実は、私には出発直前にショッキングな出来事が発生し、一晩中列車の窓から夜の闇を眺め茫然自失状態だったのだが、この件についてはまた別の機会に書こう。
さてこの九州修学旅行。お決まりのように阿蘇山麓を何キロも歩き、別府温泉で温泉卵を食べ、宮崎の美しい海岸線をドライブして、桜島の雄姿を拝んだ後は、指宿温泉で一泊という旅程だった。
その指宿宿泊の日。一日の観光を終え夕方バスで向かった先は、まるで「お釜」をひっくり返したような半円形をしたモダンな造りのホテルだった。
ここで、事件はいきなり起きた。
旅装を解いて、ガラス張りの大浴場を堪能し、卓球とピンボールマシンに興じた後の夕食時。
なにやら、騒々しい。あちこちでみんなが興奮している。
「団体で来てるぞ」 「お、俺もウィンクされた」 「ニヤッと笑いよるねん。恐かったぁ」
どうやら他の宿泊客のことらしい。引率の教師がマイクで注意を促しながら苦笑する。「え〜、いろんなお客さんが泊まっとるようやから。あんまり、かかわらんように」
他の連中に何事かと尋ねると、オカマが泊まっているという。それも団体で。
親睦旅行なのか集会なのか。何の集まりなのか分からない。とにかくたくさん泊まっている。それどころか、その日の宿泊客はわが高校の一団とオカマの一団だけだった。
たちまち、あちこちで遭遇事件が起きた。
夕食後、「ウォー」と声を上げてラウンジに飛び込んできたのは、柔道部の黒帯、男の臭いムンムンのマツバラ君であった。「や、やられたぁ」と股間を押さえている。一体何事だ?
「エレベーターの中で、いきなり握られた」 マツバラ君、丸刈りの頭から汗を噴いている。
「すっごく大きいわねぇってさ」 ゆでダコのように顔が紅潮している。
「部屋に来ない?だって。何で俺なんだよぉ」 いかにも情けない顔をしている。
今や日本の知性を代表する一人となった武闘派の彼も、さすがオカマにはたじたじだったようだ。
さて夜も更け、まだゲームをするという友達を置いて、私は一人部屋に向かった。エレベーターに乗ってドアを閉めようとしたその瞬間。一人の「男」が滑り込んできた。
確かに男だと思ったが、華奢で小柄で、体にぴったりフィットしたズボンをはいている。その彼が、いきなりくねっと体をひねってこちらを向いた。私の頭の先から足の先までゆっくりと舐めるようにチェックする。そして、またゆっくりと舐めるように視線を戻すと、まるでしゃぶるように私の目を見つめ、ねっとりとほほ笑みかけた。一瞬背中にゾクッと寒気が走る。
「あ〜ら、ぼうや〜。かわいい〜じゃな〜い」 まずい。部屋は12階だ。ここで、何かあったら、死んでも死にきれない。思わず後ずさりする。エレベーターの動きが遅い。「男」と二人だけの時間が長い。
「良かったら、あとで‥‥。来ないぃ?705よ。ナナ・マル・ゴォ。いい?じゃ、あ・と・で。ね?」
そう言うと、「男」は7階で降りて行った。彼が降りるやいなや、どっと力が抜け心臓が高鳴る。とにもかくにも、恐怖は去った。
しかし、なまめかしい空気がまだ辺りを覆っている。
705、かぁ‥‥。いったい部屋に行って男同士で何をするんだろう?
には具体的なイメージが浮かばなかった。
お釜をひっくり返したようなホテルで出会ったオカマの一群。「俺も触られた」「僕も声をかけられた」という他愛もない被害報告は相次いだが、幸い「実害」を受けた者は一人もなく、その後伝説の修学旅行エピソードとして語り継がれることになる。
ただ、私の人生において、オカマとの危機一髪の遭遇はこれで終わらなかった。指宿は始まりにすぎなかった。
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