風太郎ワールド


2003年03月02日(日) ダンシコウビョウとの戦い

昨日、女子校病のことを書いた。そして、まだ青かった頃の自分は、それと似たような「男子校病」に冒されていたかもしれない、いや、実際冒されていたという、事実を明かした。

さて、その男子校病に悩む若かりし日の自分だが、手をこまねいて、のたうち回っていたわけではない。病気克服のためにそれなりの努力をしたのである。

まず、「戦に勝たんとすれば、敵を知れ」ということで、「敵」の研究をはじめた。

実は、「敵」を知るための努力は、多感な思春期の頃から盛んに行っていたのだが、その方法がまずかった。

文学や恋愛論の本を大量に読んでいたのだ。いや、別に怪しい本ではない。すべて立派な先生方がお書きになった本だ。ただ、振り返って考えれば、問題が一つあった。

すべて、「男性」作家による本だったということである。それも、彼ら自身何らかのダンシコウビョウに冒されていたようなフシがある。

私が人生の指針として愛読していたのは、その昔旧制高校生のバイブルといわれた三種の神器のひとつ、倉田百三だった。

彼の「出家とその弟子」を読んだときは、自分が生まれ変わったような衝撃を受けた。その後、「愛と認識との出発」や「青春をいかに生きるか」などから、人生そして恋愛に対する心構えを学んだ。

旧制高校生のバイブルを読んだからといって、別に私はそんな昔の人間ではない。(いや、頭は昔の男かもしれない ^^;)これらの書物を読んでいる同級生はほとんどいなかったし、当時は書店でも隅にひっそりと置かれていた。

私は、単純に旧制高校生に激しく憬れていたのだ。できることなら、その昔に戻って自分も黒いマントを羽織り旧制高校生活をしてみたかった。たぶん、これも若い頃に読んだ一昔前の文学作品群の影響だろう。

ちなみに、三種の神器のもう一つ阿部次郎著「三太郎の日記」は、しばらく必死で読んだが、いつも猛烈な睡魔に襲われ、何が書いてあったのか、ほとんど記憶にない。西田幾多郎の「善の研究」は、手にとる前に多感な時代が過ぎてしまった。

というわけで、私の女性観、恋愛観の根幹には、倉田百三教祖が鎮座しているのだ。

それと同じくらい、いや、読んで分かりやすかった分だけもっと大きな影響力を残したのが、遠藤周作だろう。彼の著作はほとんどすべて読んでいた。純文学系以外は。^^;;
(「海と毒薬」とか「黄色い人」、「留学」などいくつかはもちろん読みましたよ、いくらなんでも)

要するに、俗に中間小説と呼ばれるものと弧狸庵シリーズ、そして恋愛論の類を熟読していたのだ。そして、彼からも恋愛に関して非常に多くのことを学んだ。‥‥と思っていたのだが、じつは彼は、女性のことをよく分かっていなかったようだ。^^;

ある小説、実はもう20年以上前に読んだきり、引越時に小説の類をすべて手放してしまったので、タイトルや細かいストーリーを思い出せないのだが、読後の印象だけは鮮明に残っている。

主人公の女性が、ある男にどうしても会いたいと願って、遠い外国の地を探し求めて歩く。ところが、やっとめぐり会えたその男は、彼女のことを慮って正体も明かさず、彼女の前から立ち去ってしまう。(だったはずだが‥‥^^; いま必死に遠藤周作の作品群をWebで調査しても、どの作品なのか見当がつかない‥‥。こんど図書館で調査して来るので、間違っていたらご勘弁を)

ま、細かいことはおいといて、私が「感じた」印象は、はっきりクッキリと残っている。私はこのストーリー、この男の生き方に大いに感銘を受け、絶賛し、女友達のひとりに夢中になってしゃべったのだ。すると彼女が宣うた。

そんなオトコ、だめよ。カッコよく立ち去るなんて、現実じゃそんなことないよ。私はヤダナー。オンナは、そこでぐっと抱いて欲しいのよ。ややこしい理屈はどうでもいいのよ。あのね、こんな本ばっか読んでると、あなたオンナで失敗するよ。だいたいね、遠藤周作はオンナをわかっとらん!

こう私に説教したのが、今やフェミニストとしても有名な、ヌードのフォトグラフィーの第一人者、K氏(の若かりし頃)だったから、説得力があった。

私が長年築いてきた恋愛論の理論的枠組みが、たった一撃のもとにガラガラと崩れ去ってしまったのだ。

で、どうしたか?



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