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キョウ・レツ子先生(仮名)と数年ぶりに再会してお茶をした。 彼女は私より少し年下で、非常勤先Tでの新任講師の集まりで偶然隣り合わせに座って言葉を交わすようになった。その年は私にとって大変タフで、非常勤講師の持ちコマが倍増、知識も時間も足りない中でひたすら準備に追われる々だった。彼女は博士課程を修了して論文を書く傍ら非常勤講師の口をいくつか持っていて、その合間を縫って一度お茶でもしましょうと誘ってくれて、一度都心で会ったことがある。 分野は違うが同じ出身大学が同じで、新卒で企業に勤めていたのをやめて、やがて大学院に入り、結婚していて、子供がいなくて…と共通項もあるのだが、なにしろタイプが違う。雰囲気がとても華やかな人で、顔の造作も言葉遣いも美しいのだが、それ以上に身振り手振りが大きく、自分とは違うなーと思いながら、彼女が自在に繰り出してくる世界観(含む妄想)を楽しんだ記憶がある。 彼女が授業や学生に対して持っているスタンスもずいぶん私と違っていて、どちらかというと私が支配型(give型?)であるのに対し、彼女の方は学生にかなり裁量を与える一方でかなり粘り強く学生の発言を引き出したり考えを述べさせたりする(take型)であると思って、そのバイタリティーをうらやましく思った。 それからは年賀状だけのお付き合いが続いて、「お会いしたいですね。」とか「またランチしましょう。」というありきたりの文言をお互い書いていたのだが、最近、学位を取得したので、とまた彼女のほうから誘ってきてくれた。 久しぶりに会った彼女は相変わらず華やかで、門外漢にもわかるように研究の話をしてくれ、お互い配偶者とのかみ合わなさを語る。たぶん性質的に、彼女は私の夫と近く、私は彼女の夫と近い。「彼ら」は自分の好きなことに向かってぐいぐいとわき目も振らず進んでいく、それ以外のものには興味がないので、取りこぼしもいとわない。彼らにとって必要のないことはしない。やれなくても構わない。誰かがやってくれればそれでいい。なんならやってもらわないくてもいい。しかし世間はそういうものではない。常識的には、あまねく取りこぼしのないように着実に進めていかなければいけない。彼女は私の夫の心情を語り、私は彼女の夫に共感する。 家では「強烈子(キョウレツコ)」といわれているという彼女は、他の非常勤先でであった別の「強烈子」さんの様子を生き生きと語り、「アタクシこれからも強烈子として生きてまいります!」と高らかに宣言して都心の町へ消えていった。 話していたのは3時間ぐらい。頭の中がなんだかすっきりした。
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