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母は生まれつき運動神経がよく、年の割りに若くて、身体も私よりもずっと柔らかい。そのせいか自分の体力を過信しているところがあって、急いで物を取りに行こうとして躓いて転んだり、急いでいて階段から降りようとして滑り落ちたり、うかつな怪我をときどきする。 一週間ほど前に、書道の展覧会を控えた母が出品料を払い込もうと急いで郵便局へ向かっていて、自宅の階段から落ちたという。足をくじいて背中をしたたかに打って、骨の損傷はないものの母としては近来まれに見る重傷。すぐにかかりつけの整骨院に行って手当てしてもらったのだが、あとはベッドの上でうんうん唸っている。展覧会に出す作品はとっくにできあがっているのだが、受付分担のある展覧会や、最終日に行われるレセプションには出られそうにない。 その展覧会というのは、書道の大先生の七回忌を記念して開かれるもので、私も母に「親孝行だと思って出しなさい!」といわれて作品を書き、「親孝行だと思ってレセプションに出なさい!」といわれて出席する予定になっていた。去年亡くなった伯母もその書道会に属していたのでレセプションに出るなら形見の着物で出るとはいっていたのだが、母が出ないならば行ってもつまらない。それでなくても母の看病で予定外の実家詣が増えて、時間がとられているのだ。 ところが母は整骨院の先生も驚く回復ぶりで、こっそり痛み止めなどを飲んでよろよろと動き回り、ゆっくりながら歩けるようになった。母ぐらいの年齢だと筋肉の衰えもこわいし、まったく動かないのもよくない。じっとしているようにうるさく言っていた私だが、お相撲さんも稽古しながら直すというし、少しは動いたほうがいいのかもしれない、と考えを改めた。 さて、展覧会最終日。たまたま一時帰国中の兄が車で母を展覧会に連れて行ってくれるという。母大喜び。当日は雨もよいだったが、私の家にも寄ってくれるというので、コーディネートには若干目をつぶって伯母の形見で全身固めて車に乗って会場へ。 母自身は着物を着られないのだが、祖母が着物で暮らしていた人で、母は着姿のチェック係だったらしく、胸元がどうだの、背中心がずれてるだの、なかなか着付けに口うるさい。着ていれば自然と緩んでくるだろうに、お構いなしに口だけ出してくるのでむっとする。 さて肝心の展覧会。母は入口でさっそくいろいろな人に会い、口々にお怪我はいかかだの心配しただの囲まれていてなかなか前に進めない。母の作品は古いものも含めていくつか出品してあったが、最新のものも(家族を犠牲にして書いただけのことはあって)、この年齢とは思えない力強い立派なものだった。私は和歌をかな文字で扇面に書いたのだが、思いがけずモダンな表装がしてあって驚く。額装だとかさばって収納場所に苦労するので、掛け軸にして欲しいとだけ伝えて、デザインはすっかりお任せだったのだが渋いピンク系の濃淡二色でタペストリー風にしてあって洋間にもあいそうな雰囲気。 小さい会場に200を超える作品が並んでいたのだが、兄と私はすっかり先に見終わってしまい、あとは母を待つばかり。会場にいた人が気を利かせて「お母様がいらっしゃいましたよ。」などと知らせに来てくれるが、ええ、一緒に来たんです。 展覧会は最終日は早めに終わり、通常なら後片付けを手伝うのだがこの姿だし、母は動けないしでレセプションが始まるまで2時間ほど所在なげに過ごし、やっとレセプション。立食かと思いきや、足腰の悪い方々ばかりの集いなので着席してフランス料理風フルコース。母は重鎮の集まる席に座ることになり、結局別々に座り、よくわからない方々に囲まれて時間を過ごす。 兄にまた迎えに来てもらい、拘束6時間プラス準備時間の親孝行は一段落。 ぐったりと疲れた。
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