WELLA
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2006年02月27日(月) 上海(2)

ツアーは朝が早い。普段なら8時ごろ朝食に行けばいいほうだが、今日も8時出発。6時半に起きて身支度をして、今日も中華風の朝食。レストランにはハムエッグやソーセージなどもあるのだが、私は片隅にある、お粥や寄せ豆腐にまっしぐら。そのほかに、蒸しパン、超ミニちまき、超ミニ小籠包、ミニ肉まんと小籠包のかけあわせのような生煎包(ションジェンポウ)などなど、前夜の食事で「それはとても上海風な朝食ですね♪」といわれた朝食。薄く切ったお豆腐(に、おしょうゆをかけるだけ)もおいしかった。なんだか冷奴の新たな世界を知ってしまったような気分。

今日は水の都、東洋のベニス蘇州に行く。上海市内から車で2時間ぐらい。まず各ホテルをピックアップしてから旅行会社のオフィスがあるオークラガーデンホテル(花園飯店)へ集まってそこから、出発だという。バスに乗ってなんだかすごく立派な洋館が現れたと思ったら、そこが花園飯店だった。租界時代のフランスクラブなのだという。立派すぎ(-"-)。昔の出発まで時間があるのでトイレを借りると、ウォッシュレットもあった。マイクロバスに定員ぎりぎり乗って一路蘇州へ。上海市街を抜けると郊外のニュータウンといった雰囲気。瀟洒なマンション群やさらに郊外へ向かうと建売りの戸建てがずらり。さらに先へ進むと農村地帯。クリークが広がり、重そうなもっこを担いで歩いている人や、何人もで根っこのついた大木を水辺から引き上げているのが車窓から見える。耕運機やショベルカーの類は見当たらない。そして農村地帯に突如として現れる工場、ゴールドカードを片手に微笑む美女の大看板。時間軸が大きくゆがんでいるような印象を受ける。高速を降りて街中に入るととたんに客引きなのか物売りなのか人々が車道をうろうろしている。それにしてもここの人たちはどうして好き勝手なところで車道をわたるのだろうか。そういえば高速道路で料金所を抜けたところで、反対車線を人が歩いていた。どうやら何台もの玉突き事故があったらしく、離れたところに停まっているパトカーに向かって歩いていく途中だった。余計事故が起こりそう。

バスはまず虎丘へ。ここは古墳のようなもので、上空から見ると山門が頭、階段が背骨、頂上の塔が尻尾というように、虎が寝そべっているように見えるらしい。そしてその頂上の塔が斜め傾いているので有名だそうだ。塔が立っている丘の下のほうに池があり、その脇に王義之の筆による碑が埋め込まれている。そしてその池の奥の方の壁のさらに奥にこの墓の主が眠っているのだが、ここを発掘してしまうとバランスが崩れて丘の上の塔が倒れるので今はあけられないらしい。ガイドさんによると20年後ぐらいに塔が自然に倒壊するのを待っているのだという。そんな危ない(-"-)。王義之の碑のほかにもさまざまな碑があるが、文化大革命の時代に壊されて復元された碑などもある。後でいった寒山寺の碑もそのひとつだ。この国は文化大革命によって大きく文化や歴史が分断されている。外灘などの租界時代の壮麗な建物が壊されなかったのは、奇跡というか上層部の大英断だったのだな。ふむ。

続いて寒山寺へ。ここは張継が科挙の試験に落ちたときに詠んだという、“月落烏啼霜満天”ではじまる「楓橋夜泊」の で有名なお寺である。大晦日の除夜の鐘でも有名で境内はごった返すという。地元の人たちが熱心にお参りしている他は、日本人の団体客ばかり。他に十数人のグループが2組ばかりいたが、われわれの若いガイドさんとは説明するポイントが少しずつ違うのが面白い。年配のガイドさんはおそらく書にも造詣が深く、お寺の裏話などもたくさん知っているのだろう。

いい塩梅に身体が冷えたところで、昼食そしてお買い物タイム。先客に4人ぐらいの中国人グループがいて、そこに十数人の日本人客が入ったのだが、声は圧倒的に中国人グループが大きい。こんなに静かに食事をするなんて、地元の人には奇異に映るだろう。ガイドさんはまかないに近いものをさっさと食べているが、そっちのほうがなんとなくおいしそう。後から入ってきた日本人の男女の学生らしいグループもおとなしく食事をしていた。彼らはホテルの朝食のときに見かけたのだが、グループでガイドをチャーターしているらしい。大人の姿がないので研修ではなく卒業旅行かサークル旅行なのだろう。最近は贅沢なことだ。

お買い物タイムはシルクセンター。シルク製品を山ほど売っているが、ガイドさんは興味なさそうにわきに立っている。退屈ならバスに戻ってもいいし、とにかく出発時間までにトイレを済ませておくようにといわれる。サラリーがいいからマージンをあてにしなくてもいいのだろうか、などと邪推してみる。それにしても、中国の人とこんなに長い時間いるのは初めてである。自分でガイドブック片手に一人合点して旅を進めるよりも、わからないことを即座に聞いたり、生活事情を直接聞いたりできるのでこの辺はガイド付きツアーの利点だと思う。

シルクセンターの次はクルーズ。外城河を小さな船でまわる。川幅がどんどん狭くなっていき、民家の軒をかするように船が進んでいく。何百年も前の歴史的な橋や建物がある一方で、あちこちにステテコとか真っ赤なぱんつとかの洗濯物が干してある。40分ほどでクルーズは終わり、最後の観光地、拙政園へ。バスは少し離れたところに停まり、あとは歩いていく。ここはかなりしつこい物売りの皆さんががんばっていた。門前町はまさに再開発中。これから大いに観光客が見込まれて観光バスもがんがん門前に停まるようになるのだろうか。

拙政園は昨日訪れた豫園とはまた違って水がテーマとなっている。園内のほとんどを池が占めていて、池を掘った残土で築山を作ったそうだ。園内には未婚の女性が刺繍を習いに通った建物や、親同士が決めたお見合い結婚の顔見世スポットとか、男女別に壁で仕切られた廊下(これは豫園にもあった。男性が日向で女性が日陰を歩く)とか、昔の風習を感じさせるものが多い。日が傾くにつれて急激に冷え込んでくる。私は完全防備で着膨れていたのだが、それでも寒い。グループの中にはぶるぶる震えている人もいる。夫は昔は冬場に靴下を履いて寝るような寒がりの人だったのに、いつの間にか体質改善してしまったのだろうか、シャツの上にフリース一枚で済ました顔で歩いている。ここも気候のいいときにのんびり訪れたい庭園だ。蘇州は他にも見所が多そうなのでまたいつか来て見たい。

夜は上海雑技を見るオプショナルツアーに申し込んでいたのだが(これは現地入りしてから急遽決めたのでクーポン券外)、月曜日で渋滞が心配されるので上海到着時間によってはキャンセルして返金するといわれていた。ところが寒さゆえに早めに間に観光が終わったのか、なぜかスイスイで車は走り、予定よりかなり早い時間に花園飯店に戻ってきた。上海雑技のツアーが出発するまで時間があったので周辺を散歩。ホテルの敷地内も大きな噴水とか散歩道とかがあるフランス式庭園になっていて往時をしのばせる。

迎えに来たガイドさんは最低限のルーティン日本語しか話さないようで、込み入った会話は無理な様子。送り迎えの人は観光ガイド見習いなのかもしれない。雑技は最前列中央で見ることができ圧巻だった。隣の席の若い女性二人組は声が大きく、演技を見ながらかなり率直に反応している。「ありえない〜」と笑ったり、「あぶないよ」といって手を差し伸べたり、家で友達や家族とくつろいでテレビを見て突っ込みを入れている感覚。はじめのうちはうるさいなと思っていたが、つられてこちらもかなり自由に「すごーい」とか「うはー」とか声に出して楽しかった。

雑技の後はそれぞれのホテルに送り届けてもらう。あちこちのホテルを巡るので夜のドライブ気分。われわれはガイドさんに交渉して、宿泊しているホテルではなくリッツカールトンに送ってもらう。このホテルの前に「小籠包がおいしいお店」があるというのだ。とりあえずリッツカールトンでトイレを借りて(トイレ係りの女性がいてびびる)、お目当ての店に。ここは地元の人で大賑わい。日本語のメニューもあって注文用紙に食べたいものに自分でチェックする。ここでコラーゲンたっぷりの鶏足をじゅるじゅると文字通り骨までしゃぶり、他にはブロッコリーの茎炒め、蟹粉入り小籠包、緑豆のお汁粉、にら餃子、海老シュウマイなど。どれも美味。

満腹になって、明日も早いので通り沿いにある別のホテルまで歩いて、そこからタクシーで帰ることにする。ぶらぶら歩いていたら、5歳ぐらいの女の子がプラコップをもって物乞いにやってきた。無視して歩いていくとさらにその弟らしきよちよち歩きの子が現れてプラコップを差し出す。いったい親は何をしているんだと思ってしばらく歩いてから振り返ると、子供の手を引いて大通りを渡っていくところだった。子供は計3人いた模様。ふーむ。


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