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非常勤先L。構内の銀杏が昨日の暴風雨でかなり散って、黄色いじゅうたんを敷き詰めたよう。管理の人たちが総出で落ち葉と格闘している。葉っぱがあらかた落ちてしまったおかげで木立からすっきりとした青空が良く見える。 授業の終わりに帰り支度をしていたら女子学生が箱をもって、たたたっと近づいてきた。「せんせい、これ、こないだ専攻の旅行で買ってきたんです。食べてください(はぁと)」といって、サブレを一つくれた。うわ、こんなの初めて。ちょっとときめいてしまった。なんか修学旅行みたいで楽しかったらしい。お昼は軽く学食でたぬきうどんを食べて終わり。後は図書館に夕方までこもってフランス語の作文をして、後で元同僚たちをお茶に誘って、フランス人に添削してもらった。赤いボールペンを渡したら、もう真っ赤。はじめのほうは辞書に載ってる例文を多用しているのでそれほど赤が入っていないのだが、後半になって話が込み入って自分のオリジナルになればなるほど赤が増えていく。グラデーションだね、と笑われる。 最近、お仲間の掲示板での話題で、関西の人は、他の地方に移り住んでも他地方出身の人に比べて自分の言葉(関西弁)で通す人が多いのではないか、という話があったのだが、それに関連してふと「こどものつくったうた」という実家にあるテープを思い出す。これは1960年代頃に放送されたものを父がオープンリールのデッキで録音したしたもので、「こどものつくったうた」というタイトルが付いている。多分関西の放送局が企画したものだと思うが、小学生が書いた詩がいくつかあって、それにメロディをつけてそれをボニージャックスだかダークダックスだか、男性コーラスが歌ったものである。関西弁で書かれた詩が面白いといって父はこれがすごく気に入っていて、私が子供の頃何度か聞かせてくれた。今はカセットにダビングして同居している孫に聞かせたりしているらしいが、はっきりいって子供が聞いても面白くない。前述したように1960年代なので、お父さんは戦争帰りでもともとは海軍だったとか、家族で牛乳を一本しかとっていなくてそれはお父さんが飲むとか、その世情を感じさせる歌が関西弁で入っている。昔は今のように詩のイントネーション無視のメロディはつけなかったので、歌の関西弁を生かすようなメロディで、今聞くと多分すごく面白いと思うのだが、関西弁ということでその中のある歌を思い出したのだ。 うろ覚えなので一部抜粋(といいつつ、メロディに乗せてあると意外と覚えているものだ)。 「おかあちゃんは 『そおでございますねぇ』と いった」 「おかあちゃん 無理して東京弁 使こぅたら おかしいわ お客さんも 京都の人 やんか」 京都人のおかあちゃんが、訪問客に対して気取って東京弁(標準語)を使っているのを子供が揶揄している。以前はなんとも感じなかったが、掲示板での話題をなぞった後だと興味深い。少なくともこの時期、京都で東京弁を使うのを是とする流れ(流行?)があったということだ。テレビの普及と関係があるのだろうか。
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