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一日、家のPCの前にこもって気の乗らない作業と格闘する。 ここ数日、家のネットワークがつながりにくいことも気分を逆なでする。合間に洗濯物をたたんだり、業者とやりとりをしたりしながら、気分転換に、先日図書館で借りてきた須賀敦子さんの文章をちびりちびり読む。 須賀敦子さん。なぜかこの人を他の作家のように呼び捨てにすることが私にはできない。面識も直接のつながりもないのに、例えば遠い親戚か誰かの知り合いのように、その気配を感じる。 彼女の名を初めて知ったのは新聞の社会面に小さく載った彼女自身の死亡記事で、評伝を書いていたのは池澤夏樹氏だったろうか、還暦を過ぎて初めて出版したエッセイがたちまち評判を呼び、それから10年に満たない著作活動の間にいくつかの珠玉の文章をこの世に送り出して、これからという時に亡くなってしまった、ほんとうに惜しいことであるという記事が記憶に残った。それから何年かして須賀敦子さんの著作を読んだ時の衝撃は忘れられない。初めて読んだのは「コルシア書店の仲間たち」だったか、「ベネツィアの宿」だったか、何ページも読みすすまないうちに、心の中で「あぁっ!」と小さく叫んで身もだえして本をパタンと閉じてしまう、というようなことを何度も繰リ返した。意図的にひらがなの分量を多くしたやわらかい文体の中に、突然なんでもないふうに「〜みたいに」「〜のような」と、軽やかな子どもの視点のような比喩の一文が挿し込まれる。それらひとつひとつがなんとも鮮やかな差し色のようにぎゅっと心を揺さぶって、彼女の著作の数が多くないということをすでに知っていた私は、そういう比喩に出会うたびに、食べおわるのがもったいない極上のおやつのように、その先を読み進めなくなってしまうのだった。 そして3年ほど前に全集が発売された。そこには未発表の散文や未完稿のノートや対談、訳などがき集められていて、おそらく中には彼女自身本意でないものも収められているのだろうに、それでも8巻までしかない。今手元にあるのは、3巻と4巻。ついついその先を読んでしまいそうになるのを、押しとどめ、引き剥がし、なるべく読み終わりを引き伸ばすようにしている。ページの後ろの方をめくっては、まだ読んでいないところがあるぞ、しめしめ、と思っている。
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