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2001年05月11日(金) ホープレスなホームレス

英語のクラスでホームレスに関するディスカッションをした。ことの発端はクラスメイトの一人が「pollution(汚染公害)」をテーマにした英作文の課題で、ホームレスの人々を一種の公害だと指摘した上で、いかに彼らと共生していくかという問題提議をしたことにある。

彼女の論調は決して彼らをただ忌み嫌うものではないのだが、働きもせず風呂にも入らず残飯をあさるような生活をする彼らを、社会からはみ出した怠け者と見なしている。せっかく行政が彼らにシェルターを提供し職業訓練を施そうとしているのに、それを拒否して勝手気ままな生活をしているのだという。他の一人も同じ意見で、ホームレスの人々は自らの意思でその立場になったのであり、その場しのぎの生活で自由を楽しんでいるのではないかという。さらには彼らのことは普段から無視しているし、彼らがいる場所には立ち入らないから関係ない、彼らと共生することなど考えられないという意見もでた。

彼女達の意見はもっともだが、しかし「ちょっと待てよ」と思う。私も決して彼らを容認する側ではないし、ボランティア団体による炊き出しの映像を見ると「なんの解決にもならないからやめとけ」と思う口である。しかし彼らがいかにしてホームレスとなっていったかを考えてみると、殆どはこの国の物質的な繁栄の陰の犠牲者だと思わざるを得ない。ホームレスは50代から60代が主だという。日本の高度成長時代を支えるための労働力として、農村から集団就職してきた少年少女や出稼ぎに来た、製造・建設業の担い手が多く含まれる。経済成長が頭打ちになって建設業は下火になり工場のオートメーション化が進んだ頃、安い賃金で長時間酷使されながら経済成長に貢献したにも関わらず、仕事は減り、身体を壊し、やがて働きたくても働けない状況に陥ったのだろう。

全てのホームレスが高度成長時代の犠牲者であるとは言わない。「乞食は三日やったらやめられない」という言葉があるが、彼らの中に本当の怠け者や弱者エゴを振り回す輩がいることも否定はしない。彼らは働かず、酒を飲み時に仲間と談笑し気を紛らわして、ただ毎日をしのいで暮らしている。積極的に生を選ぶわけでもなく、死を選ぶわけでもなく、しかし彼らの生活に明日への希望はない。世の中に対する不信感やこの世に対する絶望が、彼らをああいう境遇に引き入れるのではないか。

ホームレス(homeless)はホープレス(hopeless)なのだ。行政が与えるシェルターや職業訓練にしろ、ボランティア団体の炊き出しや衣料品の配給にしろ、所詮それらは機能を与えているだけに過ぎない。本当に必要なのは彼らがよりよい生活を送りたいと思う動機であり、明日へとつながる希望である。物質的なケアだけでは問題の解決にはならない。

彼らが希望と誇りと適度な勤労意欲とともに安楽に暮らせるような、そんな夢のようなシェルターがあればいいのに、と愚にもつかぬことを考える。彼らの今までを考えると、そのくらいしてあげたっていいじゃん、と思ったりもする。


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