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父がここ15年ほどほそぼそとやっていた非常勤の仕事が今年の3月で終わったので、新宿の高層ビル群の一角にあるしゃぶしゃぶ店で兄と共同で慰労会を企画した。顔ぶれは私たち夫婦と両親、兄夫婦と姪である。オフィスビルの地下にあるその店は連休中とあってガラガラで、しかもこの期間中に限って格安の特別メニューが組んである。 掘りごたつ形式の座敷に案内されて、飲み物が揃ったところでややおどけて兄が格式ばった挨拶。父も感極まった様子で返礼をし、自分の来し方を語り始めたのにはいささか驚いたが、まあそれだけ喜んでもらえたということである。いつも思うのだが、昭和一桁世代である両親は戦争がなかったらこうは生きてこなかっただろう、ということばかりである。将来を夢描く年頃と実際に成人として生活の糧を得る年頃の間にきっちりと戦争による分断が横たわっている。 戦争によって生き方が変わり、そして生き方が変わったことにより、両親は出会うことになった。そういう意味で言うと、兄や私は戦争がなかったら生まれてこなかった人間であるともいえる。戦争は過去に終わったものではなく、後々の世に様々な形で影響を与えている。 出される料理は全ておいしく、ビールも熱燗もおいしい。姪ははしゃいで両手を上げて座敷を走り回って挙句に障子に手を突っ込んでしまう。自分でも失敗したと思っている上に大人たちに咎められたのが口惜しいらしく、しばらく駄々をこねて泣きわめいていたが、一番利害関係が少なそうな私と夫の方に擦り寄ってきておとなしくなった。「れいこおばさま」と言わせようとしているが、それはさすがに難しいのか舌足らずに「れこしゃま」と呼ぶ。彼女が泣き止むのを潮にお開きにすると、「れこしゃま、行こう」といって私の指を握ってさっさと歩き出す。あくまで自分のペースで行動する誇り高き2歳児である。 3世帯が持参したカメラでそれぞれ仲居さんに集合写真をとってもらい、われわれ子供たちは両親にケーキを買ってもらって帰路についた。ささやかで幸福な、連休の一日である。
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