WELLA
DiaryINDEXpastwill


2001年04月14日(土) 不幸と幸福の多寡

夜、昨日図書館で借りきた本を1冊読んで、眠くなったので寝てしまった。

図書館で借りてきた本は、文庫と新書が一冊ずつ。文庫は花村萬月の「二進法の犬」。これは彼の芥川賞受賞直後の作品らしい。長編小説と銘打ってあり文庫のくせに厚さ45mm、本体価格1238円、図書館で借りるととってもおトクな気分である。新書は「不幸になりたがる人々」という精神科医・春日武彦の書いたものでサブタイトルは『自虐指向と破滅願望』。内容はタイトルほどにはセンセーショナルでなく、いわゆる変人とか奇人とか言われる人たちや自ら不幸に向かっていくような人々についての考察である。

世の中には運の悪い人とそうでない人がいるとか、いやいやそうはいっても人間の不幸のたかと幸福のたかは結局は等しくなるものであるとか、その場の状況に応じていろいろと言われているが、日ごろさまざまな人物や症例を見ている彼からすると、どうも不幸の「だめ押し」のように次から次へと込み入った不幸な状況に陥っていく人が多いようなのである。

逆にあまりに物事順風満帆に過ぎても、「空が落ちてくるのではないか」とか「幸せすぎて怖い」とか「自分がこんなに幸せでいいはずがない」とか、いわれのない不安にとりつかれたりすることは多い。で、あたかも予防接種のようにあらかじめ不幸の先取りをしてしまう人たちもいるそうである。

で、著者が冗談半分にいうには、確かに長い目で見れば不幸と幸福とが等しくなるようなある周期で曲線を描いているとして、その周期の上に人の人生が乗っているのではないか。よって細かい周期の人は人生の内に不幸と幸福とがちゃんと同じように来るし、周期が長い人は不幸へ向かう曲線のうちに一生を終えてしまったり、その逆に幸福なままな人もいるのではないか、ということである。

そういわれてみればそうかな、と思う。何より人生のうち不幸と幸福のたかが等しいならば、不幸なときはいつか幸福になれることを信じてなんとなく救われたような気になれるかもしれないが、幸福な半生を送ってきた人は晩年に向けて不幸がやってくるのを今かいまかと恐れ待たなくてはならないではないか。宝くじが当たるような幸運が舞い込む人には宝くじに当たるようなすごい不幸が舞い込んでしまうというのなら、宝くじなんか当たりたくない(でも買っちゃう)。

はたからどう見えるかはともかく、自分が不幸か幸福かに頓着しないのが一番幸せということだろうか。


れいこな |MAILBBS