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2001年04月12日(木) なにがあるあるあるあるだったか。

昨日の森博嗣の続き。
「水柿助教授」のなにが「あるあるあるある」だったかについて舌足らずだった。
それは新婚当時の主人公が太平洋沿いの地方都市の国立大学に勤めていた頃の章にある。私はほぼその反対側の日本海沿いの地方都市の小さな町で、とある国立大学院に勤める夫とともに暮らしていたのだが、その小さな町での日常があまりに私の場合とオーバーラップするので図書館の固い椅子の上でヒクヒク笑いをこらえながら読んでいたのであった。

地方の小さな町に住んでいると、どこへ行っても知り合いに会う。
これはケンブリッジでも同じことを体験したが、町に駅が一つしかない、銀行も郵便局も目抜き通りもスーパーマーケットも一つかせいぜい二つぐらい、となると、みんな似たような時間帯に似たような目的で行動するので、それはもうかなりの確率で知り合いに会うのである。
東京に住んでいるといくら友人知人が多くても、よほど近所でない限りばったり知り合いに会うということはない。100万人都市に100人知り合いがいる場合と、10万人都市に10人知り合いがいる場合とを比べれば一目瞭然である、と作者は述べていて、よくわからないのだがそういうことである。

夫が教員だったりすると、教員対学生という1:nのような関係で一方的に面が割れている。敵は何十、何百である。しかも「先生の奥さん」でありながら学生をやっていたりすると、一緒に学食に行ったり学内を連れ立って歩いたりすることもあるので、かなり目立つ。
そうすると例えば、隣町に新しく出来たファーストフードに行って夫とともにハンバーガーにかぶりついていると、遠くの席からにこやかに挨拶をしてくる見覚えのない若者がいたりする。
私がちょっと実家に帰っているときに夫が新規開店のスーパーを冷やかしていると、翌週私に会った学生の一人が「この前の水曜日先生が○○スーパーにいましたよ」とわざわざ知らせてくれたりする。
そうかと思えば休日に夫婦揃ってスーパーに買出しに出かけて、両手一杯の食料品やら日用品をぶら下げて店を出たとたんに同じく買出しに来た同僚夫妻に会う、という気まずいものもある。

学生の時分、夫の留守に研究室の仲間と夜ビリヤード場に行ったとする(仮定)。
さんざ遊んだあとビリヤード場の受付の兄ちゃんに「あそこの学生さんですよねぇ」などと話し掛けられる。なんのことはない、そこらじゅうでバイトしている若者もみんなそこの学生だったりするのだ。
女子学生は少ないので覚えていたのだろう。他研究科だったので、幸い私が「先生の奥さん」であることまでは知らなかったようだった(仮説)。

知り合いに会って声をかけられないまでも、どこかで目撃されてるんじゃないか、というこの閉塞感。
悪いことがいったいどんなことであるかはよくわからないのだが「悪いことはできないですねぇ」などと思わず言ってしまう、と作者は述べているが、まったくその通りなのである。あるある。


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