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歌舞伎の女形、歌右衛門丈が亡くなったのは満開の桜に氷雨が降る夜だった。評論家の渡辺保氏が4月2日付けの日経新聞に、「桜と雪 矛盾の美」と題した追悼文を寄せている。歌右衛門の内面の古風さと芸の近代性という矛盾を桜の時期の雪にかけたものである。桜も雪も歌舞伎には欠かせない風情であるし、なるほど、うまいことをいうものだと感心した。 私が歌舞伎を見始めたのは小学校の高学年の頃で、若手の坂東玉三郎がそれはそれは美しく、市川海老蔵(現・団十郎)や片岡孝夫(現・仁佐衛門)とのコンビがそれぞれ「海老玉」「孝玉」などと人気を呼んでいた。といってもその頃はもっぱらテレビの劇場中継をみるばかりで、実際の舞台を見たのは高校入学のお祝いに伯母に歌舞伎座に連れて行ってもらったのが初めてである。それからは、たまに一人で歌舞伎座に行って一幕見という安い席で観劇したりもした。 あの頃はちょうど役者の端境期のようなときで、歌舞伎座はいついってもガラガラで今のようにチケットがとり難いという話は聞いたことがなかった。今の中堅クラスがまだ若手で、梅幸、勘三郎、松禄、白鴎といった世代が主な配役を占めていた。歌右衛門もその頃すでに「お婆さん」で、赤姫といわれる赤いおべべのお姫様の役から年増の役までやっていたが、若くて美しい玉三郎とは違って一目見て「ああ、きれい」とは思えなかった。むしろ歌右衛門は素顔がきれいで、扮装をしないでインタビュー番組などで話している姿は、たおやかで柔らかでこれが真の女形だと思わせた。 既に歌右衛門の「芸の力」というのは広く言及されていたが、いくら芸があってもしわしわのお婆さんよりも若手の女形の方が私には美しく思えた。そしてあまり興味がわかないままに歌右衛門はそのうち体調を崩し、舞台にのることはなくなってしまった。歌右衛門の舞台は確かに見ていて、それはもちろん極上であったとは思うのだが、歌右衛門の何(の役)が印象に残っている、といえるような記憶が私にはない。ついに歌右衛門の芸の深さは理解できないまま終わってしまった気がする。
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