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ここ数日来、「築地」と「月島」という言葉を散々口にしていたら、つい頭の中で「築島」に変換されてハタと気がついた。そういえば「築山」という言葉もあるし、人工的に築いた島=「築島」=埋立地ってことか。じゃあ築地も「築いた地」で、これも埋立地だ。ふ〜ん、ふ〜ん、ふ〜ん。 それにしても築地本願寺、埋立地にある寺というのも珍しい。普通あれだけ大きな寺院ならば周囲に末寺がいくつかあってもよさそうなのに忽然とあそこに建っている。しかもあのインド様式の石造り、あきらかに周囲から浮いている。建物をじっくり見てみると国会議事堂を彷彿とさせる石の色である。そして窓にはまっているガラスは質が均一ではなく、窓に反射する光が歪んで見える。おそらく関東大震災後の建造物であろうと思われるが、それにしてもなぜ築地にあるのか。 とりあえずgooで「築地本願寺」で検索すると、本願寺がつくっているページがヒットした。本願寺は「ほんぐわんじ」というらしい。http://www.hongwanji.or.jp/tsukiji/ 最近はWebで調べられるのでつくづく便利だと思う。正式名称は「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」。いわゆる西本願寺の別院で、もとは浅草横山町にあったのが明暦の大火(振袖火事)で焼失し、区画整理の為に幕府に追い出されたらしい。それで代わりにここに建てろ、と下付されたのが八丁堀の海上なのだという。そりゃアンタ、むちゃくちゃですがな。後からページをいろいろ読んだところによると、本願寺は勢力が強かったので、時の政府は何かにつけその勢力を弱めようとしていたらしい(東西本願寺分離など)。これもその一環の嫌がらせだったのではないか。 それで佃島の信徒が中心になってせっせと海を埋め立てて地を築いたという。つまり本願寺が築地に引っ越してきたわけではなく、本願寺を建てるために築地が出来たというわけだ。なるほど。 あの石造りの建物はやはり関東大震災の本堂焼失後に建てられている。燃えない建物を、ということだろう。昭和6年起工、昭和9年落成となっている。国会議事堂が出来たのが昭和11年だから、やはり同時代の建造物である。 ちなみに外見はインド様式でありながら中は桃山様式だという。うーん、ちょっとシュールかも。
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