WELLA
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1998年01月22日(木) その時彼らは

東京に住む友人からメールがきました。
先日の雪でいつもの路線が運休になってしまい、家に帰りつくのに何時間もかかってしまったという顛末が書かれていました。
その日、彼は夜7時に都内の会社を出て、平行して走る別の私鉄に乗り、いつまでたってもバスがこないので、仕方がないからまた途中駅まで引き返し、そこでしばらく待ったけれどらちがあかないので、結局ターミナル駅まで行ったもののその時点で夜中の1時。バスはとっくに終わっていて、 そこから歩いて家にたどり着いたのは午前2時だったというのです。
ニュースなどで知る限り、どこもそんなだったのかもしれません。テレビの画面には家に帰れず途方にくれる人々の姿や、駅員に喰ってかかって日本中に恥をさらしたサラリーマンなどの姿が映し出されていましたから。
「そりゃぁ大変でしたね。こっちの雪は…」などという通り一辺の返事のメールを出してから、お風呂でぼーっとそのことを考えていた時、もしかしたら違うかも知れないと思い当たりました。つまり、情報さえあればその友人はもっと早く帰れたのかも知れないということです。

友人は耳が聞こえません。だから駅や車内の案内放送の内容を知ることはできません。放送も聞こえず、皆が途方に暮れイライラしていた状況で、多分周りの乗客にも駅員にも尋ねることをせず、自分の知識だけを頼りに、あっちに行きこっちに行きしていたのではないかと思われます。
彼にはそれが当り前だからです。

マスメディアが映し出した首都圏の混乱は、深夜のカラオケボックスで夜を明かす人々、行き場がなくて苦笑いする人々、そしてさらに振袖にブーツを履いて成人式にでかける女のコ達の姿を映し出し、「新しい流行か?」などと時ならぬ珍事を面白がってさえいるようでした。
かくいう私もテレビで雪に転ぶ人を見ては笑い、雪に強い地方に住んでいる者として、あまりにも無防備な首都圏の人々に対して少しばかりの優越感さえ持ったのでした。

すっかり街の様子が変わってしまったあの雪の日。
街中で、入場制限で混雑する駅のホームや階段で、目の不自由な人はどんなに怖い思いで歩いたでしょうか。聞こえない人達は目で見る以上の情報も得られず、あきらめて自分の足で帰路を模索したのでしょうか。

東京の人達もやっと雪かきすることを覚え、殆ど雪は残っていないといいます。けれども、
歩道の点字ブロックの上に雪は積まれてやしないだろうか。
雪で車椅子が通れなくなってやしないだろうか。
足もとがおぼつかなくて外出できなくなっている、お年寄りや体の不自由な人達はいないのだろうか。

彼らにとって普段通りの道が使えなくなったことが死活問題となることは、マスメディアからは伝わってきません。

追記:確認したところ、冒頭の友人は駅員に筆談で質問はできたそうです。


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